トップ棋士はたまに1日空く程度、過密スケジュールで動いている

仲邑女流棋聖はプロ入り前の小学生のとき、韓国の囲碁道場で修業しており、韓国語も不自由なく話せる。もともと韓国でプロ入りする道を歩んでいた途中で、日本で「英才特別採用」の話が持ち上がり、プロ入りした経緯がある。
仲邑女流棋聖にとって、韓国はそこでプロになって一生過ごしてもいいと思えるほど愛着のある場所なのだ。

仲邑女流棋聖が子どものころしばしば勉強に訪れていたという洪道場を主宰する洪清泉四段(韓国出身/関西棋院棋士)は、韓国の囲碁事情と彼女の気質から今回の移籍の理由を「菫は朝から晩までみっちり碁漬けの生活を送りたいのだと思う」と話す。


「日本では朝から晩までトップクラスが集まって研究する場が少ない。韓国では国家チームが毎日、午前中から夕方まで稼働していて、対局、検討など勉強をしています。菫のレベルなら国家チームに入れるでしょうから、その環境に身を置いて、勉強して強くなりたいと思ったのでしょう」(洪四段)

日本棋院(日本棋院Facebookより)
日本棋院(日本棋院Facebookより)

今や囲碁の世界もAI全盛とはいえ、やはり人間どうしで検討、研究するのは重要で、事実、世界トップの中国、韓国は国家チームが集まって切磋琢磨しているのだという。

対照的に日本ではトップクラスが常時集まって研究するという場が現在はほとんどない。
家元制度のあった江戸時代から平成の前半くらいまでは、師匠が自宅に弟子をとって衣食住の面倒をみて育てる「内弟子」制度が日本にあり、そこでは内弟子以外も集まって10~30人ほどの単位で勉強していた。日本はずっと世界トップの地位を保っていのだが、現在は住宅事情やお世話する師匠の家族の負担などから、内弟子制度はほとんど消滅してしまい、それに伴うかのように、世界での地位も中国・韓国の後塵を拝すことになってしまった。

さらにトップ棋士が常時集まれない事情が日本にはある。
韓国での手合いは、1つの棋戦を2週間など集中した期間でおこなう方式で、対局のない期間も多くあり、棋士が集まれるタイミングがあるという。
一方、日本は恵まれているともいえるのだが、棋戦が多く、毎週月曜日と木曜日に手合いがつく。また、挑戦手合などでは地方に遠征するので、トップ棋士はたまに1日空く程度、というような過密スケジュールで動いていて、そんなしょっちゅうナショナルチームが稼働することは現実的ではない。実際、現在のナショナルチームの活動は月1回の練習日と、年に1、2回の合宿となっている。

仲邑女流棋聖は自分が強くなるためには、韓国の“囲碁漬け”になれる環境が必要と判断したのだろう。

洪四段は「日本でも一力棋聖や井山裕太王座、藤沢女流本因坊、上野愛咲美女流二冠らトップ棋士が毎日のように集まって研究すれば、韓国や中国に並んで世界一を争うことができるでしょう」と提言している。

上野愛咲美女流二冠
上野愛咲美女流二冠
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そんな囲碁漬けになれる環境があれば、仲邑女流棋聖も移籍など考えなかったかもしれない。

取材・文/内藤由紀子  
集英社オンライン編集部ニュース班