偉大なマンガ兄弟に生まれて
ちばあきおは1943年、満州生まれ。4人兄弟の三男。長男は『のたり松太郎』『あしたのジョー』を描いた、ちばてつや。次男はちばてつやプロダクションを差配した、千葉研作。弟の四男が『Dreams』『風光る』など原作者として活躍する、七三太朗。
こうした「マンガ兄弟」に生まれ、あきお自身もまた、読者の心に残り、長く愛される名作を描いている。ただその生涯は長いとはいえず、1984年に41歳で他界した。
ちばあきおの生涯と創作について息子・千葉一郎が書いた『ちばあきおを憶えていますか 昭和と漫画と千葉家の物語』。家族をはじめ、漫画家・高橋広、原作者・武論尊、担当編集者・谷口忠男ら親しかった人々に取材し、ちばあきお作品の持つ繊細で美しい魅力のルーツを伝えている。そのほんの一部として、ちばあきおのデビューとなる話を抜粋した。
ちばあきおのデビュー
1967年、ちばあきおの読み切りデビュー作『サブとチビ』が講談社の『なかよし』に掲載された。はじめての連載作品『リカちゃん』(講談社『少女フレンド』)の発表も同年だ。てつやのアシスタントとなって、8~9年が経ったことになる。その間に、てつやのもとを訪れる編集者たちとも顔見知りになっていたはずだ。
また、実弟で、すでにチーフ・アシスタントとしてそれだけの実績を積んでいれば、てつやのスケジュールなどに関してあきおが直接、編集者と打ち合わせをする機会も増えていたはずだ。そんな経緯で『サブとチビ』の原稿依頼を受けたのだろう。『なかよし』でてつやを担当していたのは、伊藤という編集者だったようだ。
そのシーンは漫画『がんばらなくっちゃ』にも描かれている。依頼を受けて、はじめての自分の作品を描き始めるのだが、あきおは苦しみ抜いた。読み切り作品のために編集者は3ゕ月の執筆期間を用意してくれたが、作業は遅々として進まない。てつやにアドバイスを求めたこともあった。そして、ゲッソリと頬のこけた姿でようやく描き上げると、あきおはガツガツと食事をしながらいうのだ。
《もうこんりんざい漫画なんてかかねえぞ》
そして、お銚子の酒をグイーッと飲み干すと、眠りこけてしまった。よっぽど過酷だったに違いない。しかし、原稿を編集者に渡してしばらくすると、電話がかかってくる。次の依頼だ。「責任は果たした。もう描かない」。