家事を他人任せにした人の末路
というわけで、あえて声を大にして言いたい。
家事の分担、もうやめませんかと。
決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。
家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。
もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。
でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。
家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。
家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。
それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。
それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。