山上被告は「日本の失われた30年」そのもの

池田 岸田首相襲撃事件の後に山上被告のツイートを読むと、木村容疑者は幼いと思わざるをえません(実際に年齢も若いですが)。山上被告のツイートは「豊か」でさえあって、私に考えるきっかけを与えてくれたこともあります。私は最初、山上被告の起こした事件を、悪辣なカルトと、それを放置した定見のない政治家がつくりあげた現実、と思いましたが、五野井さんは、それとは違うところからこの事件に光を当ててくださいました。
 
五野井 山上被告の1364ツイートを精査して見えてきたことがありました。山上被告をあのような凶行に走らせた主因は言うまでもなく旧統一教会です。しかし、社会として山上被告をあのように追いつめず、凶行に走らせないよう様々なセーフティネット(社会的紐帯)があるべきだったのに、なかったことも原因であのような大変悲しい事件を起こしてしまった。

私は、安倍元首相は殺されるべきではなかったと思っています。そもそも殺されるべき人など誰もいないですし、また公文書改ざん問題で自殺してしまった赤木俊夫さんの事件やロシアへの北方四島をめぐる交渉過程等も含めて、しっかりとすべてに説明責任を果たす道徳的義務が彼にはあったからです。

山上徹也と日本の「失われた30年」。彼はなぜ、“弱者切り捨て社会”において誰にも救いを求めなかったのか?_3

例えば今日のようにみんなで意見を共有したりする場にもし山上被告が足を運べるような何かがあれば、おそらく、あのような凶行は起きなかったはずです。そうしたセーフティネットを新自由主義的諸施策が断絶していき、人々をいがみ合わせるようにし、お互いに不信感を募らせ敵対させる政治がこの30年間ありました。弱者の切り捨てが横行し、その人たちが顧みられる機会がなくなってきました。

その犠牲者の一人として山上徹也という人がいるんだと思います。社会や政治の側から山上被告に対して事前に何らかのアプローチができていれば、安倍元首相殺害事件は防げたのではないかなと私は思います。もちろんこれはSPが優秀であれば防げたとかそういうことではなく、社会が彼に思いとどまらせるような──本当にわかりやすく言えば、話し合える友人がいるとか、恋人がいるとか、話し合える家族や親族がいれば、とか、そういったことです。