これぞ二枚舌! 靖国神社に参拝しつつ「アメリカは最も重要な同盟国」

如何にアメリカによる「特別の措置」があり恩があるとはいえ、仮に巣鴨プリズンで何らかの密約があったとしても、昨日まで敵として戦い、戦友のみならず数多の無辜(むこ)の同胞を空襲や原爆で焼き殺したアメリカに「魂まで売った」とは考えにくい。今は不可能でも、いつかは国力と防衛力を蓄えて「アメリカと対等な日本」を心中秘めていたとみなすのは、些か買い被りすぎであろうか。

この「面従腹背」という姿勢があったからこそ、「日本国憲法はアメリカの押し付けだ」と言い靖国神社に参拝を繰り返す一方、「アメリカは最も重要な同盟国」と平然と二枚舌を使えた。矛盾を矛盾と自覚しているからこそ、平気で「ウソ」がつけたのである。

なぜ鬼畜米英を叫んだ戦前の右翼は、親米へと「華麗なる変身」を遂げたのか。靖国参拝しながら”アメリカは同盟国!”の思考分裂_3

中曽根康弘は政権期、有名な「ロン・ヤス」関係で日米蜜月を築いたとされるが、彼が38歳のときすなわち1956年に『憲法改正の歌』というのを作っている。一番と二番の歌詞は次のようなものだ。「①嗚呼戦に打ち破れ 敵の軍隊進駐す 平和民主の名の下に 占領憲法強制し 祖国の解体を計りたり 時は終戦六ヶ月」「②占領軍は命令す もしこの憲法用いずば 天皇の地位うけあはず 涙を呑んで国民は 国の前途を憂ひつつ マック憲法迎えたり」。彼こそが「憲法押し付け論」の最右翼だったが、このような歌を作っておきながらなぜレーガンとニコニコ会食していたのかというと、「面従腹背」だからである。

中曽根は戦後日本の原子力政策に深く関与している。1955年、来る日本での商用原発の建設を前に、衆参両院の原子力合同委員会で委員長を務め、同年の原子力三法の成立に関与した。中曽根の初入閣は1959年の岸内閣における科学技術庁長官である。中曽根が原子力に拘ったのは、日本の核武装を念頭に置いていたからである。