「初夜は女性が上の体位と定められている」…統一教会の驚きの合同結婚式のルール。これがまともな宗教に必要なことなのか_1
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教団創設初期の怪しい儀式

当時の朝鮮には《いかがわしいセックス教》が横行していた(浅見定雄『統一協会=原理運動』七一頁)。文鮮明が統一教会を始めたのも、その流れの周辺だとも言われる。

セックス教とはどういうものか。

宗教的儀式だ、救いのために必要だ、と称して、教団の指導者が信徒と性行為を行なう。あるいは、信徒同士に性行為を行なわせる。

宗教的儀式だからと言って、信徒と好き勝手に性行為をするというのは、教会の指導者にとって都合がよすぎる設定だ。いかにも怪しい。社会常識にも道徳にも反している。

こういうセックス教団があった場合、つぎの二つのケースがある。

第一のケースは、教団の指導者に、教義がインチキであるという自覚がある場合。信徒と性行為を行なうことが目的で、教義はそれを合理化するためのつけたりである。でも信徒にはその教義を信じさせる。

第二のケースは、教団の指導者に、教義がインチキであるという自覚がない場合。信徒と性行為を行なうのだが、それは教義から必要なことだと、信徒も指導者も信じている。この場合は、セックス宗教だから怪しいのだが、インチキだと断定するわけにはいかない。

どちらのケースか、第三者が判断するのはむずかしい。信徒は、教えられたとおりに教義を信じている。第一のケースか第二のケースか、教団の指導者しか知らない。第二のケースでは教団の指導者も信徒と同じことを考えているのだから、信徒が「騙された」とは言えない。

さらにややこしいことには、教団の指導者自身が、第一なのか第二なのか、半信半疑で自信がないケースだってあるかもしれない。

こういうことを考えると、ある宗教が「インチキ」で信徒を「騙している」と、第三者が判断するのはとてもむずかしいことがわかる。

取締り当局はふつう、だから、騙しているかどうかに関係なく、いかがわしい宗教を一律に取締まる。社会秩序を「紊乱」しているというのが、その理由だ。

統一教会はどちらだったのだろう。

文鮮明に聞いてみなければわからない。インチキなセックス宗教だと、解釈もできてしまう教団だったとは言えそうだ。