宗教はひとの頭の中を覗くこと

橋爪 宗教って、ひとの頭のなかをのぞく話なんです。イスラム教徒が二○億人ぐらいいて、キリスト教徒が二五億人ぐらいいて、互いに反目しあう部分があっても、宗教としては似ているんですよ。カルトも、サイズは小さくても、宗教の性質としては大差ない。だから、どれかの宗教を知っていると、ちょっと変わった宗教を理解するとっかかりになるんです。ここまでは同じで、ここから違うという、そこがわかる。

菅野 あ、それは同感です。僕が真剣に研究したのは、谷口雅春という宗教家が設立した「生長の家」という出版宗教です。彼らは「万教帰一」と言います。つまり全ての宗教は本質的に同じであるという考え方ですね。で、その中身を覗くと、いろんな宗教のつまみ食いをしている。新宗教には、大体そういう側面があって、この間亡くなった大川隆法の幸福の科学もそうです。これは二十世紀以降の新宗教の特徴で、一つの新宗教を深く研究してみると、別の新宗教でやっていることが何なのか、大体予想がつくようになります。今、僕は、アメリカの「メガチャーチ」を研究しているんですが、もし日本会議や生長の家より先にメガチャーチの研究をやっていれば、メガチャーチは伝統的なキリスト教を色濃く引き継ぎすぎているので、他の新宗教への「勘働き」がそこまで発達しなかったと思います。

橋爪 生長の家を調べてわかったのは、時代に先駆けてアメリカの最新トレンドをちゃっかり拝借したニューソートなんですね。New Thought は、一九世紀後半に現れたアメリカキリスト教の新潮流。ハイカラで、脱キリスト教運動みたいなものを日本に移植したら、こちらでは土俗の伝統がちがちの皇国主義の宗教になってしまった。しかも、病気が治ります、が売りになった。

菅野 そうなんですよ。アメリカのクリスチャン・サイエンスでも「病気は治る」と喧伝しますね。

橋爪 クリスチャン・サイエンスはいちおうキリスト教系ですから、病気が治るのはGodが治している。だけど生長の家になると、病気が治るのは宇宙の真理が治している。あるいは、あなたが自分で治している、という話になるんですね。

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生長の家はインテリの救済装置だった

菅野 生長の家の特殊さを考えるときに参考になるのは、昭和七年に、谷口雅春が『生命の實相』という本を出して、林芙美子の『放浪記』を凌ぐともいわれた大ベストセラーになったことです。戦後もしばらくの間売れ続け、累計1900万部売れたと言います。実際、『生命の實相』は、書物として最初から最後まで面白いんですよ。それを書ける谷口雅春という人間が、極めて良質な文系インテリだったということは見逃しちゃいけないと思うんです。ただ、『三太郎の日記』(一九一四~一八年、阿部次郎著。理想主義の哲学的エッセイ。戦前の青年の愛読書)にはついていけないタイプの人たちで、西洋的なリベラルアーツも、伝統的な漢籍を中心とした日本の教養教育も受容できないけど、「耳学問」は好きという、丸山眞男がいうところの「亜インテリ」です。当時はそんな感じの人が大量にいた。

橋爪 ほうほう。そこは興味深いですね。

菅野 つまり、生長の家はインテリになろうとしたけどなれなかった人たちの受皿になり得ていたということです。そこが生長の家という宗教の見落とされがちな事実で、「生長の家」は、まちがいなく「亜インテリの救済装置」として機能した。だからこそ、彼らの宗教は「自己啓発」的であり、だからこそ彼らの政治運動はあんなに自信満々なんですよ。「僕たちは亜インテリだが、亜インテリもインテリの一種である」という根拠のない自信があるんです、彼らには。

橋爪 それに加えて、生長の家の谷口雅春は最初、大本(神道系の新宗教)に出入りしていたことを見逃してはいけない。出口王仁三郎に気に入られ、編集や口述の仕事を任されていた。でも、大本は大弾圧に遭いますね。その前に谷口は辞めているんだが、この弾圧は彼にとって大きな体験だったと思う。ニューソートのような軽さとは違う、日本で人びとに根付くための宗教の歴史と伝統の重さを思い知った可能性がある。

菅野 そうだと思います。大本を出てからの生長の家は、弾圧されまいと必死でしたからね。ただ、日本の伝統を掲げつつも、自分たちは世界の潮流と軌を一にしているんだぞという変な自信は、今の日本会議にも引き続いているように思いますね。

橋爪 戦後、創価学会に先を越されたり、日本共産党も勢いを拡大したりしたのに遅れをとって、生長の家は小さなグループに成り下がってしまったという焦りもあったかもしれない。政治活動に進出していくのは、そういう背景もあったかもしれない。

菅野 創価学会への対抗意識が、生長の家政治運動の原動力だと僕も思います。創価学会政治運動がなければ、生長の家はあそこまで政治運動をやらなかったと思うし、後年、あんなにあっさり政治運動から身を引いたのも、公明党に勝てないことに気づいたからでしょう。

橋爪 宗教がうまく行っていれば、政治運動なんかやる必要ないんですよ。

安倍事件後の日本会議の動きは

橋爪 安倍元首相亡きあとの最近の、日本会議の政権中枢への働きかけはどうなっているんでしょう。教えてください。

菅野 いわゆる日本会議の「一群の人々」、安東巌さん、椛島有三さん、百地章さんは、昨年七月のあの不幸な事件以降、パラライズしているように見えます。

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橋爪 パラライズ、って麻痺しているということ?

菅野 ええ。あまりにも衝撃が大き過ぎて、まだうまく飲み込めてないように見受けられます。安倍晋三という政治家が亡くなったことは、彼らの運動の中で、ゴール間際でのとんでもなく大きなつまずきで、また立ち上がって走り出すことができないでいる感じです。その間隙を縫って、その下の世代が力をつけつつある。その意味で、日本会議、日本青年協議会の中での世代交代が進んでいるようです。

橋爪 なるほど。自民党への影響力という点はどうですか。

菅野 日本青年協議会の機関誌『祖國と青年』は、これまで過去五十年間ずっと、自民党や、いわゆる保守論壇の中で議論されるトピックを、大体三、四か月前に先取りしていたんです。それが安倍晋三暗殺事件からこの方、その距離が縮まっていて、ほぼ同時になっています。例えばこの『祖國と青年』の一月号で「防衛費GDP比2%以上で反撃能力を」という巻頭特集を組んでいて、櫻井よしこ、古屋圭司、河野克俊という面々のシンポジウムを再録しているんですが、その時期が国会で防衛費2%の話が出てくる直前なんですよ。ほぼ重なっている。

橋爪 それは随分あからさまですね。

菅野 そうなんです。あの事件以降、どう見ても自民党と『祖國と青年』が以前よりもあからさまに、相互交通の上で物を書いたりしゃべったりしている側面が強くなってきた。

橋爪 安倍元首相が存命であれば、安倍さんの政治力と安倍派の影響力で、自民党、ひいては政権が動いていくことはある程度、計算できますよね。だから、新しいアイデアのブリーフィングはまず安倍さんにして、それを国政に反映させるのは、安倍さんに任せていた。安倍さんも、ブレーンとして手弁当で活動してくれる彼らを、便利に活用していたわけだ。ところがその司令塔がいなくなって、そうした二人三脚の関係が崩れ、代わりの後継者もいない。となって、日本会議は自民党のプロパガンダ役、キャンペーン役みたいになっているのかもしれない。

菅野 ええ、束ねる力を失って、今本当に大変です。安倍さんの後、萩生田(光一)さんを担ぎ出そうという話もあるようですが。

橋爪 岸田首相がこの際、安倍派をやっつけて、保守本流の勢いを取り戻すことを本気で考えるならば、統一教会がらみで荻生田さんを標的にし、自民党の大改革に踏み切れば、勝機はある気がする。

菅野 いやまあ、岸田さんにはそれをやれる力量はなさそうです。

橋爪 いずれにせよ、今回の統一地方選は、政治家にとっても国民にとっても試金石になると思います。まず自民党が、統一教会とどこまで絶縁できるかどうか。この選挙に、国民が厳しい監視の目を向けることが重要です。【了】

構成=宮内千和子 写真=三好妙心(橋爪氏)、菅野氏提供

*統一教会(世界基督教統一神霊協会)は、現在は、世界平和統一家庭連合と名前を変えています。新聞などは「旧統一教会」と表記しますが、本稿では歴史を尊重して、統一教会(Unification Church) と呼ぶことにします。

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