♯1バン仲村の知られざる半生はこちらから
♯3本当の喧嘩ってのは、誰もいない山奥に連れて行ってはこちらから
♯4ヤクザとも渡りあってきたバン仲村のアツい想いはこちらから
互いにアウトローだからこそ引き寄せられた
――瓜田純士さんとの出会いのきっかけを教えてもらえますか?
僕の大学時代の友達がある講演会を山梨で開いて、その講師として瓜田純士を呼んだんです。僕も講演会の運営に参加していて、そこで初めて彼と出会いました。
彼は当時「ドブネズミのバラード」という、アウトローとして新宿で生まれ育った、自叙伝的な本を出していて、たしか20万部ほど売れたのかな。その本を看板に山梨を訪れて、人生に行き詰まった人たちへアウトローからのメッセージ、というような講演会でしたね。
――瓜田さんとはすぐに打ち解けたのでしょうか?
最初はスタッフとして一緒に行動したり、飲みに行ったりして。何となく毛並みが似ているからか、話しているうちに意気投合しちゃって。
その時は連絡先を交換したくらいで終わったんですけど、1年後くらいに「山梨に来る」という連絡が純士からあって、再会することになったんです。
会ってみると、顔に入れ墨が入っているし、浴びるようにお酒を飲むし、言うことも支離滅裂で、少し壊れているような感じがして…。でも僕としては「色んな意味で現実から逃避したくて、東京じゃない田舎に遊びに来たがってんのかな」くらいに見ていて。
――普通の遊び仲間だったのですね。
そんな感じで1、2回ほど純士が甲府に来て、仲良く遊んで過ごして。たしか3回目の時かな。純士から「今から行く」と急に連絡があって。理由も何も言わずに「もう電車に乗っている」と。同じアウトローという立場上、なんとなく気配はわかるから、特に探らずに「もちろん来ればいい」と伝えて。
それで彼がこっちに来て、飲んでいる時に少し探ってみたら「関東の半グレに指名手配されて、東京にいられない。追われているから匿って欲しい」ということだったから、面倒を見始めた訳ですよ。
――瓜田さん、かなり壮絶な状況だったのですね。
風俗店の従業員や日サロのスタッフの寮として使うマンションを僕が所有していて、家具も揃っていたから、裸一貫でもなんとかなる。当時の彼はお金も持っていなかったんですけど、食べ物も僕がご馳走するから、それで成り立つだろうと。
でも、朝から缶チューハイを開けて街中で飲みながら歩いたり、その行動は荒くれていて。
東京での問題もあるから、「あんまり出歩かない方がいいよ」って注意しても、夜の街でヤクザと喧嘩したり、飲み屋さんで迷惑掛けたり、女の子たちに脅しのようなことを言っちゃったり。その度に僕が謝りに行って。