還暦のアーチェリー五輪メダリスト・山本博「若い子たちとハンディなしで戦う場所を持っていることが刺激になっている」を読む

還暦を迎え、今なおバリバリの現役

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「去年のシーズンとは比較にならないほど良くなっている」

2024年パリオリンピック出場の可能性はほぼ消えたが、言葉のトーンは湿っていなかった。

還暦を迎え、赤色のユニホームを着て出場した11月上旬の日本代表選手選考会は19位。ナショナルチーム16人に入れず、パリオリンピック代表につながる来年の世界選手権、アジア大会に出られなくなった。

41歳で出場したアテネ大会で、銀メダルを獲得。銅メダルだった1984年ロサンゼルス大会以来、20年ぶりとなるメダルに「あと20年かけて金を目指す」と話していた。

「思い描いていた絵には全然ならなかった20年だったな、というのが率直な感想ですね。あの時の僕は体の衰えだとか、加齢というのを意識していなかった。

よし、次のオリンピックでもメダルを獲るぞ、と自分にプレッシャーを与えるとかえって獲れないのがアーチェリーだから、『20年くらいかけて』くらいの気持ちで臨めばいいかなっていう自己暗示だったわけですよ」

アテネのころは「老眼になり『風が見える』ようになった」と感じていた。衰える部分があっても、積み重ねた経験と練習によって熟成され、成長した部分もあるのではないか。

「そういうのを期待したかったんですけど、ないですね(笑)。不利なことばっかり。以前は的をしっかり見ても、手前にある照準器がきちっと見えた。今は手前がぼやけちゃってる。それで右眼に10年ほど前から老眼のコンタクトレンズを入れているんです。

両眼にコンタクトを入れたり、遠近両用のメガネも試したけど、全然ダメ。こういう使い方はよくないらしいんですけど、今は右眼だけ近いところが見えるようにしていて、これが一番安定しているんです。

見えることが最も大事な競技なので、よく見えないと見ようとして、ほかにもっと集中させなければいけない部位への意識が軽減しちゃうんですよね。レーシック手術も2回やりましたけど、もういいですね。今はもっと良いコンタクトが出ないかって期待をすごくしてます」