最初は不服に感じていた

1998年に開催されたフランスW杯、ドーハの悲劇を乗り越えた4年後に日本代表が初めて出場した大会。
水川かたまりの両親はその大会に熱中。息子をスポーツ少年団に入れることになる。最初は楽しくなかったようだが、現在では「サッカーの知識では芸能界一」を自称するほどサッカーにのめり込むことに。
本記事では、水川かたまりがこれまであまり話してこなかった、サッカーとの出会いや、開幕したてのカタールW杯の楽しみ方を語ってもらった。


――ご両親の意向でサッカーを始められたと。

それまではゲームとか、割と家の中で遊ぶ子だったので、最初は不服に感じていて……。でもしばらくして同級生が沢山チームに入ってきたことで競争心が生まれて、「負けたくない」っていう気持ちが芽生えて、そこから段々のめり込んでいきました。

――競争があったということは、強いチームだったのですか? ちなみにポジションはどこでしたか?

チームの人数が多く、一番上手い選手は年代別日本代表に選ばれたりしていたので、割と強いチームでした。僕は市の選抜に入ったくらいでしたね。

初めは右サイドハーフをやっていたんですけど、監督にコンバート(配置換え)されて小学5年生くらいからボランチでプレーするようになり、中学でもずっとボランチをやっていました。