世界王者の「自分」と向き合う

2023年3月、埼玉。最後のジャンプを降りたところで、宇野昌磨(25歳、トヨタ自動車)は口元に笑みを浮かべていた。スケートの楽しさが満ちると、それが無邪気なほどに溢れ返る。

ステップシークエンスに入ったとき、身体中の細胞が弾けるように躍動した。瞬間の充実を一つひとつ確かめるようだった。

スピンを回り切って最後のポーズをした後、力を使い果たしたようにころんと転がって、ファンの万感を乗せた絶叫を浴びた。

「演技直後はホッとしたというか。久々に練習以上を(試合で)出さないといけない気持ちがあったので。地に足がつかない演技ではありましたけど」

宇野はそう振り返ったが、歴史に刻まれる演技だった。男子シングルの日本人初の世界連覇だ。

宇野昌磨が対峙し続ける“王者の自分” 世界連覇の裏側にあった苛立ちともどかしさ_1
今年3月、世界選手権フリーの宇野昌磨
すべての画像を見る

「ワンダフル、ワンダフル、ワンダフル!」

リンクサイドで待っていたステファン・ランビエルコーチが、宇野を抱き締めながら連呼した。

だが宇野は土俵際に追い込まれていた。突然の不調の中、追い打ちをかけられるように右足首もひねった。なぜ、彼は不死鳥の如く羽ばたけたのかーー。

2022年7月、横浜。アイスショー「ドリーム・オン・アイス」で、宇野は“世界王者凱旋”で颯爽と現れた。

黒のセットアップスーツ、白いワイシャツという衣装。ジャケットの袖は7分までまくり、ボタンはきつく留めていた。

ショートプログラム(SP)のブルースギター曲『Gravity』のゆったりとした曲調に躍動感が重なると、重力から解放される浮遊感があった。終盤、得意とするクリムキンイーグルを入れると、観客席の温度が上昇した。

「自分」

2022−2023シーズンのテーマを、宇野はそう定めていた。

「自分」はナルシズムではない。誰かを見下ろす、誰かと競争する、という欲とは相反する。ひたすら自分と向き合い、スケーターとしての存在意義を高める作業だ。

宇野は北京五輪で団体、個人と2つのメダルを獲得し、世界選手権では金メダルを獲った。一番高いところへ上った。だからこそ、彼は「自分」という軸をつくったのだ。