#2 風俗通いでHIV感染も覚悟した葛西純が夢だったプロレスラーになった理由
#3 なぜ48歳のプロレスラー・葛西純の試合は人の心を熱くさせるのか?

デスマッチのカリスマ

そのレスラーの名前は葛西純。1974年9月9日、北海道帯広市で生まれた葛西は、1998年に「大日本プロレス」に入門した。デビュー2年目からデスマッチで頭角を現し、一気にトップ戦線へ駆け上がったが、2003年7月に橋本真也が率いる「ZERO-ONE」へ移籍。

「世の中には、生きたいのに死んじまうヤツがゴマンといる。死んでもいい覚悟なんていらねぇんだよ」数えきれないほどの傷を負ってきたプロレスラー葛西純がデスマッチで闘い続ける執念_1
葛西純プロデュース興行「東京デスマッチカーニバル」(2015年)
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一時的にデスマッチから遠ざかったが2005年2月に同団体を退団すると再びデスマッチへ突き進み、2009年8月から「プロレスリングFREEDOMS」に所属し、カリスマ的な人気を得ている。

身長173センチ、体重88キロと小柄な体格の48歳は、猿を思わせる愛らしい風貌とは裏腹にゴングが鳴れば、蛍光灯、画鋲、カミソリ…目をそむけたくなるような凶器に飛び込み、6メートルの高さからダイブするなど常識では考えられない闘いに突っ込む。全身に無数の傷を負いながら過激なデスマッチに挑むその姿は、ファンの圧倒的な支持を集める。
さらに2021年5月にはレスラー人生を描いたドキュメンタリー映画『狂猿』(川口潤監督)が公開されるなど、プロレス界の枠を飛び越えて多くの人たちの心をつかんでいる。

「世の中には、生きたいのに死んじまうヤツがゴマンといる。死んでもいい覚悟なんていらねぇんだよ」数えきれないほどの傷を負ってきたプロレスラー葛西純がデスマッチで闘い続ける執念_2
ドキュメンタリー映画『狂猿』のポスター

その「デスマッチのカリスマ」がプロレスにかける自らの魂を激白したのが昨年9月12日、国立代々木競技場第二体育館で行われた新日本プロレスのジュニアヘビー級でトップ選手のエル・デスペラードとの一戦だった。