桜が舞う春の原宿。閉店前日の「BUNKER TOKYO」から、閉店セールで買い込んだらしく大量のショッパーを抱えた青年ふたりが出てきた。振り返って記念撮影をしながら、「この情勢さえなければ」としみじみと語り合って去った。ロシア軍によるウクライナ侵攻の影響が及んだ閉店なのだ。

ロシア・ウクライナなど旧ソ連専門、原宿の“トガった”セレクトショップが閉店。オーナーが語る現地デザイナーとの今後
旧ソ連地域のアパレルブランドを中心に取り扱う原宿のセレクトショップ「BUNKER TOKYO(バンカートーキョー)」が2022年3月末日で閉店した。ロシアやウクライナなど各地のデザイナーからバイイングしてきたこのショップは、彼らのその後のデザインを伝える場所を提供し続けるためにオンラインショップを継続する。旧ソ連地域に絞った新鮮なブランディングによって幅広い客層に受け入れられてきた経緯、そしてこれからの展望をオーナーに聞いた。
歴史や文化を引用するロシアのファッションブランドのトガった魅力

3月末に閉店した原宿の「BUNKER TOKYO」
きれいに整理されていながらも、防空壕を意味する「バンカー」という店名そのままのような不思議な印象を受ける店内。閉店間際とあって品数は限られるが、SNSでもたびたび拡散された個性の強いブランドのアイテムがそろう。1980年代のモスクワを訪問したことがあるお客にはソ連の国営店のようだと言われたこともある、と語るのはスタッフのRyuseiさん。

店内の様子とRyuseiさん(右奥)。シリアルナンバー入りのソッツ・アート(ソ連版ポップ・アートと呼ばれる芸術運動)が壁面を彩る
「歴史や文化を踏まえ、それをパロディにするようなデザインが多いのがロシアのファッションブランドの魅力かなと思います」
彼もまたロシアのデザインに魅了されたひとりだ。
2010年代半ば、「COMME des GARCONS(コム・デ・ギャルソン)」の川久保玲氏のサポートを受けて「Gosha Rubchinskiy(ゴーシャ・ラブチンスキー)」が流行し、ロシアのユースカルチャーが注目されるきっかけとなった。そこからロシアブランドを深掘りし始めて「BUNKER TOKYO」のファンになり、2年ほどスタッフを勤めた22歳だ。
「特に人気だったのは『Ssanaya Tryapka(サナヤ・トラヤプカ)』。民族的なモチーフを用いながら、かなり毒が強くてブッ飛んだ世界観を構築しています。サナヤは際どい表現をしすぎてインスタグラムのアカウントがBAN(停止)されていたり、そんなストーリーも含めて好まれていました。そういう意味ではガチのデンマークギャングスタが作っていた『MUF10(ムフティ)』も人気でした。服役していたイラン系移民のデザイナーがゲリラショーから始めたブランドなんです」

左が「Ssanaya Tryapka」のニットで、壁画はデザイナーのサナヤ・トラヤプカ氏が来日の際に描いたもの。右はRyuseiさんのおすすめブランド「ODOR(オドーア)」のパンツ
Ryuseiさんは続ける。
「このお店の強みは、とにかく新しくてブランドやデザインのエピソードに事欠かないことだったと思っています」
客層は幅広い。もともとのロシア好きのほか、地域は関係なく新奇性の強いデザインを求めるお客も多かったという。実際、SNSの口コミには「原宿で一番トガってるかも」といったコメントが並ぶ。
「『Norbu(ノルブ)』という、僕がオーナーに頼んで取り扱い始めたチベット仏教をモチーフにしたブランドがあります。ロシアにチベット仏教が盛んな地域があるんです。そういうロシアの広さ、何でも引用してしまう感じが魅力的でした。服をただ消費するのではなく、学んで深めていける、カルチャーを着ているようだと感じていて。ロシア軍によるウクライナ侵攻を受けて、ソ連だからダメ、ロシアだからダメ、とはならないでほしいです」

Ryuseiさんが着ているのが、デンマークの元ギャングが始めたアパレルブランド「MUF10」と「BUNKER TOKYO」のコラボレーションパーカー

バックプリントにFAMILIE(家族)の字があしらわれているのがいかにもギャングブランドらしい
旧ソ連というラジカルなブランディングの成功
同日、オーナーの森一馬さんにも話を伺った。
「旧ソ連地域というわかりやすいテーマとライブ感のあるコミュニケーションで、絶対他にはないものがあると思ってもらえたことが『BUNKER TOKYO』が幅広く支持された理由だと考えています。原宿という土地柄、若年層にも『なんだここ?』という感じで興味を持ってもらえました」
森さんはもともと音楽制作を仕事にしていた。ファッションに領域を広げたのは海外移住が目的だったという。
「バイヤーって海外に住んでいるイメージがあったので(笑)。ベルリンに住んでいたときに共産主義時代のアウトプットに興味を持ったのが『BUNKER TOKYO』に至るきっかけですね。ゴーシャが流行っていた頃にラフォーレ原宿でロシアブランドセレクトのポップアップをやったらけっこう評判がよくて、ロシアの『BE IN OPEN』というウェブマガジンのイベントで講演を頼まれたんですよ」
原宿の商業ビルでのポップアップでは「Sputnik1985(スプートニク1985)」や「Volchok(ボルチョーク)」といったロシアの気鋭ストリートブランドを日本に紹介し、それがブランドを生み出した国のメディアに目をつけられたという形だった。『BE IN OPEN』の講演では、“なぜか”デザイナーが森さんにプレゼンする時間が設けられたという。
「ただの個人バイヤーなのに(笑)。そこで『SVARKA(スヴァルカ)』や『T3CM(ティースリーシーエム)』といった面白いブランドを見つけて、これだけあったらセレクトショップとして成立しそうだなと。ゴーシャは流行しましたが、それ以上を掘っている人はいなかったので、ここをテーマに本気でお店をやってみようと思ったんです」

右下は「SVARKA」とのコラボレーションアイテム
そうした経緯の中で、モスクワやキーウ(ウクライナ)、アルマトイ(カザフスタン)といった各地のファッションウィークに必ず招待されるようになった。思いがけないようなことに出会う瞬間も少なくなかったらしい。
「ウリヤノフスクというレーニンの出身地である街のファッションウィークで講演したときは、ビル一棟の大きさの巨大なポスターと自分の写真が街にたくさん貼られていて、ビックリしました。なぜか車の販売店に連れて行かれて乗っている姿や日本料理屋でおいしく料理を食べている様子を動画に撮られたり(笑)」

ロシア・ウリヤノフスクのファッションウィークのポスター(中段右)に登場した森一馬さん 写真/森さん提供
しかし通常、こうしたファッションウィークに招待されるのはメディアであり、買い付ける側であるバイヤーは招待されない。
「店のテーマがニッチすぎて珍しかったからだと思いますね。僕自身、目立つ身なりなのでコレクションでファッションスナップを撮られたりデザイナーに声をかけられたりもしました。そういう出来事を全てSNSでリアルタイムに紹介していたのですが、そんなライブ感が日本国内での支持につながったと思います。イベントごとだけでなく、旧ソ連地域のブランドにはそうやって詳しく紹介するだけのバックストーリーが必ずあるんですよ」

「BUNKER TOKYO」オーナーの森さん 写真/森さん提供
文化が違うから紹介したいというだけではない。現地では古典文学や演劇などのメインカルチャーが誰にでも通じる基礎教養として共有されており、それを下地にファッションもアートとして捉えられていると森さんは感じていた。
「ファッションウィークで仲良くなったモスクワの『futureisnown(フューチャーイズノウン)』のデザイナーはPDF10枚でコレクションの制作背景を送って来たり。タブーに切り込むサナヤとか、昔ながらのジェンダー観が強いロシアにありながらクィア的な表現をして、しかもロシアのファッションシーンの中心にいる『Roma Uvarov(ローマ・ウヴァロフ)』とか、とにかく語ることに事欠かないですね」
単に服を作るというよりも、詩的表現のアウトプットの一手段としてファッションを選んでいるような旧ソ連地域のデザイナーに大いに共感。コラボレーションも展開しながら「BUNKER TOKYO」を発展させてきた。
デザイナーのこれからの表現を伝えることが支援に
「そういう人たちですから、情報も幅広くチェックしているし、このウクライナ情勢に疑問を抱いている場合も多い。先ほど名前を挙げた『futureisnown』のデザイナーは今の情勢を受けてロシアからキルギスに亡命しましたが、戻らない覚悟だと言っていました。他方で僕はもちろんウクライナのデザイナーとも付き合いがある」
ウクライナ領内での爆撃が開始された頃には、友人たちから悲痛なボイスチャットを受け取る機会も多かったという。
「この状況で輸入も厳しくなり、ライブ感を大事にしてきた『BUNKER TOKYO』は続けられないと考えました。でもそもそも僕自身が店を開いたのは、洋服を売ることではなくカルチャーを伝えることが目的だったわけで、そう考えると今まさに激動にさらされているデザイナーたちの今後を伝えないでどうする、と思い直してオンラインショップだけは維持することにしました」
ウクライナでは日本円にすると月に数万円が普通の月収で、小規模なバイヤーからの買い付けでもそれなりの収入になる。また、今後さらに閉鎖的な環境になっていくだろうロシアのデザイナーと関わりを持ち続けることも重要だ。売買する場所を残すことこそひとつの支援の形ではないかと森さんは言う。
亡命したキーウのファッションウィークのスタッフは「落ち着いたらまたキーウで会おうね」と連絡してきた。ロシアからの亡命先で製作の環境を整え出したデザイナーもいる。モスクワで活動を続け、現況に批判的なメッセージを出すブランドも。
「個人の気持ちはそれぞれです。旧ソ連をノスタルジックなものとして援用する表現は今までの状況だからできたことですが、危機的状況を経験する中でデザイナーたちが何を作っていくのかを伝えること、経済的に成立しうる発表の場を用意しておくことが、これまで関わってきたバイヤーとしての使命だと思っています」
取材・文/宿無の翁
撮影/柳岡創平
ウクライナ情勢



“それでも私が日本に来た理由” ウクライナ人留学生の決意

現代の名言製造機。ゼレンスキーの演説に学ぶ、人を動かす「言葉の力」

本家ウクライナのボルシチに行列。避難民家族が吉祥寺で営むレストランを訪ねる

「ウクライナ語で話すと殺される」言語による分断はなぜ加速するのか?

5本の映画が提示する、ロシアとウクライナ間の“10年戦争”

戦火のウクライナに留まる邦人男性-「この国を見捨てられない」思いとは
新着記事
K-POPやKドラマ好きは“自分に自信がある勝ち組”なのか!? 新大久保の街の変化から見る“韓流ファン”の姿とは
ファンは何を韓流に求めているのか――新大久保の変貌と韓流文化への期待#1
BTSや『愛の不時着』は“お守り”として消費されている!? 消費市場から眺める韓流カルチャーが“未来の保証”を提供し続けている意義とは
ファンは何を韓流に求めているのか―新大久保の変貌と韓流文化への期待#2
【休刊まであと3年】1年の半分の表紙を飾るというジョニー・デップ祭り! 一方、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーのベビー・カバーはお見せできない…その理由は!?
ロードショーCOVER TALK #2006

