ザ・スタークラブHIKAGEが見た1989年の東京と、独自のパンクシーンが発達した地元・名古屋のこと
元「smart」編集長・佐藤誠二朗によるカルチャー・ノンフィクション連載「Don't trust under 50」。ザ・スタークラブのHIKAGEのストーリー第2回。前回は、HIKAGEが人生を捧げた「パンク」や憧れのヒーローたちとの出会いについてお伝えした。今回は、地元名古屋への想い、そして進出した東京でのあの時代の風景について。(全4回の2回目)
東京ロッカーズ、めんたいロック、関西NO WAVE、そして名古屋にスタークラブあり
1970年代末、日本の各都市で地域性の強い独特なロックシーンが誕生していた。
東京では、ニューヨークのポストパンクムーブメント“NO WAVE”に呼応したフリクション、リザード、ミスター・カイト、MIRRORS、S-KENなどのバンドの活動が話題となり、彼らは“東京ロッカーズ”と呼ばれた。
博多ではシーナ&ザ・ロケッツ、ARB、ザ・ロッカーズ、ルースターズ、THE MODSなど、ブリティッシュロックや初期パンク色の強いバンド群が、“めんたいロック”と称され人気を博す。
大阪のINU、アーント・サリー、京都のウルトラ・ビデ、SSなど、ポストパンクや電子音楽、ノイズ、ハードコアといった、ひときわアヴァンギャルド色の強い関西のバンド群は、東京ロッカーズに対抗し“関西NO WAVE”を自称した。
しかし名古屋は、ロンドンパンクからの影響が色濃い、1977年結成のザ・スタークラブに続くような際立ったバンドがなかなか登場しなかった。1970年代後半から1980年代初頭にかけての、名古屋アンダーグラウンドシーンについて、当事者であるHIKAGEは語る。
「スタークラブをはじめた頃、名古屋でパンクをやっているやつらは、我々以外にはまったくいませんでした。他のバンドは長髪のハードロックばかりだったから、『俺たち以外は誰も格好良くない』と、すべてを排除する気持ちでしたね。名古屋のパンクシーンは、大須のE.L.L.(Electric Lady Land/1977年12月創業のライブハウス)ができてから、少しずつ始まった感じですね」
ザ・スタークラブが耕した名古屋のパンク畑からはやがて、ロッカローラ(1980-1985年にザ・スタークラブに在籍した4代目ドラマー、NO-FUN-PIGの出身バンド)、オキシドール(のちにブランキー・ジェット・シティのメンバーとして名を馳せるドラマー、中村達也のバンド)、そして双子のボーカリストが話題だったローズジェッツなどのバンドが出現する。

(撮影/木村琢也)
基本的にその4バンドとよくやっていましたね。あと、『TOLL GATE AHEAD』のレコーディング時にバンドを抜けたリョウジオが原爆(The原爆オナニーズ/1982年結成)を結成するんだけど」
名古屋のパンクシーンといえばザ・スタークラブと並び称される、今も現役バリバリで活動するthe原爆オナニーズ。原爆オナニーズのフロントマンであるボーカルのTAYLOWは、ザ・スタークラブと縁が深い。
「TAYLOW君と初めて会ったのは1979年でしたね。トム・ロビンソン・バンドだったかな? 誰かのライブを観にいったときにその会場で。見様見真似でやっていた俺らと同じように、TAYLOW君もすごいパンクの格好していた。名古屋には他にそんなやつはいないから目立っていて、『お兄ちゃん、格好いいね』って声をかけたんです。
『俺ら、バンドをやってる』と話したら、彼は『俺はバンドやってないけど、お前らの親衛隊をやってやるよ』と。それ以来、親衛隊長としてライブに毎回来てくれるようになりました。先日発売した初期スタークラブのライブ音源をまとめたCD『NO RIVAL』に入っている客の奇声は、実はTAYLOW君の声なんです」
日本のパンク黎明期、1970年代末の名古屋における運命的な出会いの話は、聞いているこちらがゾクゾクしてくるようなものだった。
メジャーデビュー後も地元の名古屋にとどまり続けたHIKAGEがいよいよ東京へ
足掛け7年に及ぶインディーズでの活動実績をひっさげ、HIKAGE率いるザ・スタークラブは1984年10月、ファーストアルバム「HELLO NEW PUNKS」で待望のメジャーデビューを果たす。そしてその直後から日本の音楽業界では、にわかにインディーズブームが巻き起こり、雨後の筍のごとく数多のパンク&ニューウェーブ系バンドが出現する。
するとザ・スタークラブは、イギリスの初期パンク勢と同等の長いバンド歴を持つ、日本の“元祖パンクバンド”として一目置かれ、人気も知名度も全国規模で広がりを見せた。しかし、そうしたうねりの中心にいながら、HIKAGEは地元の名古屋を離れようとしなかった。
「俺は最初から、東京に出たいという思いがあったんです。でも、バンドのメンバーが名古屋を離れたがらなくて、なかなかきっかけがつかめなかった。メジャーデビューといったって、パンクですからテレビにバンバン出るわけじゃないし、レコーディングも山中湖や河口湖のスタジオでやってたから、名古屋が拠点で何も問題がないんです。でも俺は逆に、名古屋にいても何でもできてしまうところが怖かった。このままずっと名古屋にいるんじゃ刺激もないし、面白くねえなと」
当時は東京でのライブも多かったが、終演後に機材車に乗れば、その日のうちに名古屋へ帰ることができた。打ち上げにも参加せずそそくさと地元に帰っていたので、東京のバンドたちとも親交は深まらない。良くも悪くも日本の中心である東京のシーンと、交わらぬまま時は過ぎた。
インディーズの頃と比べるとライブは常に大入りだし、音源の売り上げも順調。だが、そうした盛り上がりや喧騒は、名古屋にいると遠くのもののように感じられたのかもしれない。
「生まれたのは名古屋の中心に近いところだったんですけど、それからはずっと西春日井郡という田舎の方に住んでいたんです。時間の流れさえもゆっくりに感じられるようなところです」
そんな郷里を離れ、HIKAGEが東京に来たのは1989年、30歳になった年だった。
日本の音楽シーンはインディーズブームからバンドブームへと発展し、パンク界隈が一段と盛り上がりを見せていた頃だ。
「当時のベースのAKILLER(3代目ベーシスト。1987-1996年在籍)が東京に行ったっきり帰ってこなくなっちゃったんで、『もう俺たちも行こう!』と決心し、メンバー全員で東京に出てきたんです。実際に東京へ来て一番驚いたのは、街の騒がしさ。街中がうるさくて、静かなところがどこにももないんだな、と思いました。それに時間の流れが早かった。1日がすぐに終わってしまう感覚です。
事務所は名古屋のままだったので、スタッフと話すときにはよくもめました。『(東京は)時間の感覚が違うんだよ! ちんたらやってられないよ』って」

(撮影/木村琢也)
その年、名作との呼び声高い8thアルバム「凍てついた疾走者」がリリースされた。生まれ育った名古屋から東京へという一大変化を受けて、バンドの音楽も変わったのだろうか。
「目に見えて音は変わってはいないと思うけど、自分の内面では大きな変化がありました。だから歌詞の言葉ひとつ選ぶにしても、通すフィルターが変わり、確かに今までのものとは何かが違いましたね」
アルバム「凍てついた疾走者」には、大都会と対峙する男の姿を歌った、『ACTION STREET』という曲も収録されている。
Standing For The Action
地図にない街で
凍てつく風に抱かれ
立ちすくむ俺さ
Fighting For The Action
燃えさかる炎 消えやしない
この俺のバック・ストリート
『ACTION STREET』(アルバム「凍てついた疾走者」収録。作詞・作曲 HIKAGE)
「挑戦する気持ちにさせてくれるのが、名古屋でのライブなんです」
それから34年、HIKAGEはずっと東京で暮らし、バンド活動を継続してきた。今は地元の名古屋について、どんな思いを持っているのだろうか。
「あのとき、拠点を名古屋から東京に移したのは正解だったと思います。
でもやっぱり自分にとっては地元なんで、名古屋でのライブは今も気が楽。知り合いが多く、ホームパーティーみたいな気分になるし、失敗しようが何だろうがもういいやって。“気楽”って言っちゃうとファンには失礼に聞こえるかもしれないけど、実際のところ我が家でやるような感覚なので、普段は見せられないところをさらけ出してもいいっていう気持ちなのかな。失敗も許される気がするから、新しい挑戦をする気にさせてくれるのが、名古屋なんです」
昨年そして今年と、地元名古屋のライブハウスで、“THE STAR CLUB 80’s SPECIAL”という名前で後輩バンドの周年イベントに出演した。
HIKAGE以外のこの日のザ・スタークラブメンバーは、LOU(1982-1989年に在籍した4代目ギタリスト)、EDDIE(1977-1983年に在籍し、原爆オナニーズに移籍した初代ベーシスト)、NO-FUN-PIG(1980-1985年に在籍した4代目ドラマー)という80年代のメンツ。演奏するのもすべて、1980年代に演奏した楽曲に限るという徹底ぶりだ。
ただし、今年8月におこなわれた “THE STAR CLUB 80’s SPECIAL”はNO-FUN-PIGがライブ前々日にコロナを発症してしまったため、急遽、中村達也が代理でドラムを叩いた。中村達也も1985年から1986年にかけてザ・スタークラブに在籍した5代目ドラマーなのである。

(撮影/木村琢也)
「80’sスペシャルで演ったのは単純な理由で、去年、ブッキングをもらった際に、現メンバーのTORUxxx(5代目&11代目ギタリスト)のスケジュールが合わなかったので。だったら名古屋だし、地元の昔のメンバー集めてやってみようかとなったんです。
NO-FUN-PIGが急にダメになったから、たまたまその日だけスケジュールが空いていたタツヤに、無理を言って来てもらいました。あいつも前日は吉祥寺、翌日は甲府でライブがあるっていうのに駆けつけてくれて。感謝でしたね」
HIKAGEを中心に離散集合してきた地元・名古屋のパンクミュージシャンが、長いときを経て再び同じステージに立つ。懐かしい曲ばかりが披露されたそのライブは、名古屋の昔からのファンにとっても、至福の時間だったに違いない。
文/佐藤誠二朗
【プロフィール】
ヒカゲ/1959年生まれ、愛知県名古屋市出身。
1977年、名古屋でHIKAGEを中心に結成したザ・スタークラブのヴォーカル。
現メンバーは、HIKAGE(ヴォーカル)、TORUxxx (ギター)、HIROSHI(ベース)、MASA(ドラムス)。
1977年、名古屋でHIKAGEを中心に結成。後のインディーズ・ブームに先駆けて1980年1stミニ・アルバム発表。1984年、徳間ジャパンからメジャー・デビューするまでインディーズ・チャートを独走する。
1986年、ビクターへ移籍後、2003年にスピード・スター・ミュージック、
2004年にクラブ・ザ・スター・レコーズ、そしてノートレスとレーベルを移しながら、年ごとの新作発表及び全国ツアーと絶え間ない展開を現在まで続けている。
2023年、バンド結成47年目を迎える今も、止まる事なく走り続ける、唯一無比の日本のパンク・ロック・バンド。
公式X(旧ツイッター):@thestarclub
公式HP:ザ・スタークラブ公式HP
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