ラフィンノーズのチャーミーは“ファッションパンク”の鏡。全財産を注ぎ込むほどのめり込んだブランドとは?
元「smart」編集長・佐藤誠二朗によるカルチャー・ノンフィクション連載「Don't trust under 50」。ラフィンノーズのヴォーカル、チャーミーの物語も3回目。前回は、チャーミーを語るために欠かすことのできない存在である父親と盟友ポンについてお伝えした。今回は62歳のいまもスリムなカッコいいスタイルでステージに立つ、チャーミーのおしゃれのこだわりから話は展開する(全4回の3回目)
昔から、パンク少年のおしゃれのお手本だった
僕が“動く”チャーミーの姿を初めて見たのは1985年、高校1年の冬だった。
その年の11月に発売されたメジャーデビューアルバム『LAUGHIN’ NOSE』からシングルカットされた「BROKEN GENERATION」のミュージックビデオが、ある朝、つけっぱなしにしていたテレビの番組の中で流されていた。
中学時代からパンクとニューウェーブに夢中になっていた僕は、もちろんその前からラフィンノーズというバンドの存在は知っていたし、友達に借りたレコードからダビングしたカセットテープで、インディーズ時代のレコードも一通り聴いていた。そしてテレビを通して偶然見たそのミュージックビデオで、さらにラフィンノーズ熱が一気に急上昇する。
とにかくボーカルのチャーミーが、一際カッコよかったのだ。
インディーズ系カルチャーが好きな当時の少年少女たちにとって、パンクやニューウェーブのバンドの情報をコンスタントに伝えてくれるメディアは、雑誌にほぼ限られていた。僕も『宝島』『DOLL』『FOOL’S MATE』の“3大インディーズ系サブカル雑誌”を毎号欠かさずチェックしていた。そうした雑誌が毎号のように大きく取り上げていたのが、インディーズシーンのリーディングヒッターであるラフィンノーズの動向だった。
雑誌で見るラフィンのチャーミーは、やっぱり常におしゃれでかっこよかった。ガーゼシャツやドクターマーチンブーツといった、典型的なパンクアイテムを身につけていることも多かったが、ボーダーの長袖Tシャツや、メジャーリーグのレプリカユニフォーム、白いテーラードジャケットといった本来はパンクアイテムではないものも、チャーミーが着るとめちゃくちゃかっこいい独特のパンク風ファッションに変換されるのだった。

見えないところの小物使いもさりげなく。(撮影/木村琢也)
セルジュ・ゲンズブールとエディ・スリマン。
フランスの伊達男に憧れる
チャーミーの62歳の誕生日に行なった今回のロングインタビュー。話題は徐々にファッションのことへ移っていった。
チャーミーに、最近よく聞いている音楽について尋ねると、こんな答えが返ってきたのだ。
「音楽は俺、古いのも新しいのも何でも聴くからなあ。最近、一番よく聴いているのは、ロキシー・ミュージックとかかも。あと好きなのは……、ゲンズブールかな。
ゲンズブールが生前暮らしていた家を、娘のシャルロットが記念館にしたらしくて、もうすぐ一般公開されるんです。それを見に、フランスへ行きたくてしょうがない。コロナも明けて海外に行きやすくなったから、近いうちに行くつもりですよ。ゲンズブールは音楽だけではなくて、ファッションもめっちゃ意識してます」
セルジュ・ゲンズブールという意外な人物名が出てきたが、僕はここで大きく頷いた。なぜなら、今日のチャーミーの私服のいでたちは、確かに、かつてフランスきっての伊達男としてその名を轟かせた歌手(作詞家、作曲家、映画監督、俳優の顔も持つ多才の人)、セルジュ・ゲンズブールのそれを彷彿とさせるものだったからだ。
「ゲンズブールを意識した今日の服は、上から下まで全部セリーヌ。セリーヌのデザイナー、エディ・スリマンの服が大好きなんですよ。
韓国のミュージックシーンにハマったあと、次に出会ったのがエディで、結構な金を使いました(笑)。俺の家のクローゼットの扉を開けると、中は全部エディの服です。他は全部捨てちゃったから。エディはイヴ・サン=ローランやディオール・オムのデザイナーもやっていたけど、今のセリーヌ期の服が、俺は一番好きです」

全身エディ・スリマンのセリーヌの私服コーデ。62歳、簡単に着こなせるものではない。(撮影/木村琢也)
ファッションの話をしているチャーミーは、生き生きとしている。
ラフィンノーズというバンドは、ベースのポンも昔からファッションにこだわりがある男として有名で、彼らのビジュアルの良さやファッションセンスの高さもバンド人気の一要素であったことは間違いない。
“ファッションパンク”という言葉もある。主義主張や精神性が重んじられる傾向のあるパンク業界の中で、ビジュアルだけにこだわった中身のないパンクスを揶揄する言葉だ。
だがかつてある雑誌のインタビューで、チャーミーはこう断じている。
「俺はファッション命。“ファッションパンク”なんて悪口言っているやつに限って、ダサい格好してんねん。おしゃれ? 俺らってそこやん。そこのみかも(笑)」
ここ数年どっぷりと入れ込んでいるエディ・スリマンについて、チャーミーは饒舌に語り続けた。
「今やセリーヌのお店に行くと、『あらあら本当に、小山さん、いつもありがとうございます』って言われるほどになった(笑)。でもお礼を言いたいのはこっちの方で、なかなか俺にぴったりな服ってないのに、エディのおかげで、今でも俺はかっこつけられる。エディの洋服を着ている人はいっぱいいるけど、ちょっと不良が着て気取っているのが一番かっこいいんですよ。じゃあ、俺やろと(笑)」
自分の感覚で“これだ!”と思ったことには、思い切り飛び込んでいく
エディ・スリマンがデザイナーを務めるセリーヌは、世界的な高級ブランド。普通の人ではなかなか手が出せないような価格帯の服が多いはずだ。
チャーミーの懐事情はわからないが、こちらが聞くまでもなく話してくれた
「エディの服に使っているのは、全財産です。もうお金が入ったら、すべてをエディに突っ込んでますよ。エディの服を着るうえで一番大事なのは、自分にぴったりのサイズ感を大事にすることなんですけど、俺のサイズが正確に分かるまでに100万円ぐらいはゆうにかかったからね。
お店では、いいなと思ったらまずサイズを確認して、羽織ってみる。それで『めっちゃかっこええ! これ欲しい!』と思っても、値札を見て『……ちょっと今は無理』ってなることももちろんあるよ(笑)。そんなときは店員さんに『これ、置いといて。隠しといて』と言って、次にお金が入ったら買いにくる。この繰り返しです。
ライブでよく履いているレザーパンツもセリーヌです。ライブで使うと、結構傷んじゃうけどね。でも、さすがそこはハイブランドで、ちゃんと直してくれるのもいいところ」
セリーヌとエディ・スリマンについて語るチャーミーは、さらにヒートアップしていった。
「セリーヌのショップはいろいろなところに行ったけど。有楽町の阪急メンズ館のスタッフの子とすごく仲良くなって。向こうも、アゲアゲで勧めてくるんです(笑)。最初は『この革ジャンどうですか? 似合いますよ。これ、キムタク親子が着てますよ』とか言われたんだけど、『は? そりゃがっかりやわ。その時点でないわ』って反応したら、次に行ったときは『このTシャツはどうですか? これ、ストーンズのミック(の柄)もあるんですよ』とか、『小山さん、まるでゲンズブールっす』って。向こうもだんだん勉強してるの(笑)。
それで俺が試着して『どや。めっちゃかっこよくない?』って言うと、『超かっこいいっす! 周りのお客さんも見ていますよ。あそこのお客さんが、かっこいい人だなって言ってますよ!』って言うから、『そりゃそうやろ。かっこええやろ。でも今は買われへん。そこそこ高い。ちょい隠しといて』って(笑)」

「ゲンズブール博物館のために今はフランスにいきたい」。好奇心と行動力も変わらない。(撮影/木村琢也)
ここまで熱く語るが、実はここ数シーズンは、以前ほど触手が動かなくなってしまったとも言う。全財産を投入するほど思い切りハマった結果、欲しいアイテムはほぼ揃い、そろそろ卒業なのかもしれないのだとか。
その代わり、今のチャーミーにとってもっともワクワクする話題が、第1回目に触れた“食”についてなのだそうだ。
「『この情報はやべえな』ってなったら、俺は完全に没入するんです。自分の感覚で“これだ!”と思ったことには、泥沼でも何でも思い切り飛び込んでいきます。飛び込むに値するものかどうかは、本能で嗅ぎ分けてます。“竈門炭治郎”じゃないけど、臭うんすよ。
くんくんと匂いを嗅いで、これだと思ったら次の瞬間にはまず飛び込む。そして飛び込むから、いろいろなことがだんだん見えてくる。韓国ロックのときもそうだったし、エディのときもそうだった。今の“食”もそう。そういうときって、自分にとって本当に必要な情報を得ようとして研ぎ澄まされた状態になっているから、絶対にライブのパフォーマンスにも影響が出ているんですよね。ポンが言うように」
ドキュメンタリー「ラフィンノーズという生き方」
2011年、結成30周年時に制作・放送されたラフィンノーズ初の公式ドキュメンタリーフィルム。50歳時のチャーミー、そして当時もライブで全国を回るバンドの姿をぜひご視聴ください。
【プロフィール】
チャーミー/1961年6月21日生まれ、宮城県気仙沼市出身。
1981年12月に大阪で結成したパンクロックバンド「ラフィンノーズ」のヴォーカル。
83年12月、自ら立ち上げたインディーズ・レーベル「AA RECORES」よりファーストシングル『GET THE GLORY』をリリース。84年11月、ファーストアルバム『PUSSY FOR SALE』をリリース。85年11月、VAPよりアルバム『LAUGHIN’ NOSE』、シングル『BROKEN GENERATION』でメジャーデビューを果たすも、レコード会社の移籍、メンバーの脱退などもあり1991年に一度解散するも、1995年に再結成。以後、結成40年を超えた今も精力的なライブ活動を続けている。
その他最新情報は下記でチェックを!
公式ツイッター:@LaughinNose_
ラフィンノーズ オフィシャルHP
【撮影協力】
WONDER YOYOGI PARK
東京都渋谷区富ヶ谷1-8-7 飯島ビル2F
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