ラフィンノーズのライブでは、はじまりを告げるオープニングSEとして、必ずかかる曲がある。
優雅な雰囲気のストリングスの調べだがクラシックの曲ではなく、ラフィンノーズの代表曲『パラダイス』のオーケストラアレンジバージョンだ。
この曲がかかっている間に、ステージ袖からバンドのメンバーが続々と現れ、所定の位置につくと楽器を構えてボーカリストの登場を待つ。
客席からは大きな歓声が上がり、会場全体のボルテージはどんどん上がってくる。
2023年6月17日、毎年恒例となっている全国ツアーの一環として、東京・渋谷のクラブクアトロでラフィンノーズのライブがおこなわれた。
いつものオープニングSEが流れはじめた瞬間、僕の気持ちは一気に若返っていた。
ラフィンに夢中になり、コピーバンドをやっていた高校生時代と変わらぬ、気持ちのたかぶりを抑えられない。
やがてSEが終わると、最初の曲のイントロに乗って僕のパンクヒーローが現れた。
チャーミーだ!
62歳になったラフィンノーズのチャーミーが、今もビカビカのビンビンでいられる理由
元「smart」編集長・佐藤誠二朗によるカルチャー・ノンフィクション連載「Don't trust under 50」。初回のゲスト、有頂天のKERAに続く2人目のゲストは、ラフィンノーズのヴォーカル、チャーミー。1980年代、まさにインディーズブーム、日本のパンクシーンを牽引したカリスマは、還暦を超えた今もなお全国を回り、当時と変わらぬ激しいライブ活動を続けている。偶然にも62歳の誕生日に行った約3時間にもおよぶロングインタビューをベースに、4回にわたってチャーミーの現在、過去、そして未来に迫る(全4回の1回目)
「まだまだ上がっていく自信がある。『これからだ』っていう気持ちで、ビンビン」

6月17日、渋谷クラブクアトロでの62歳直前のライブでのチャーミー。(撮影/編集部)
ラフィンノーズのライブを最初に見た日のことは、今でもよく覚えている。1986年10月26日、東京・日比谷野外音楽堂でのライブだった。
高2の僕が生で初めて見たラフィンノーズは最高にかっこよくて、特にボーカルのチャーミーは、「これからはこの人についていこう」と思うほど輝いて見えた。
以来、ラフィンのライブに繁々と足を運ぶようになった。
それから幾星霜。
50代になった今は、高校時代と比べて音楽の趣味も随分と広がったが、ラフィンノーズのことは相変わらず追いかけている。
コロナ禍が緩んでライブに行きやすくなった今年は、5月の横浜公演に続く2回目のライブ参戦。
この日もチャーミーはいつもと変わらず、圧倒的にパワフルだった。
歌や生き様を通して、学校の先生なんかよりもずっとたくさんのことを教えてくれた、僕にとっては心の恩師のようなチャーミーが、そのライブの4日後、2023年6月21日に、我々が用意したインタビューの席についてくれた。
奇しくもその日はチャーミーの誕生日。62歳になった日だった。
ライブのMCでは、「今は70歳になるのがむしろ楽しみ」と言い放つチャーミーだが、還暦を超えた現在、実際にどんな心境で活動を続けているのかをまず尋ねてみた。
「何歳になっても一緒。全然、変わらず加速してますよ。俺と同じ年で、もうおじいさんみたいな人もいるけど、年の取り方って考え方ひとつだと思うんです。“40なら40なりに”とか、“50なら50なりに”と言う人もいますけど、『“なりに”ってなんだよ!?』と。俺は30のときも、40になっても50になってもビカビカが好きだったし、それは60を超えた今もまったく変わらない。
人は50を過ぎたあたりからだんだん下がっていくイメージがあるけど、俺は違う。まだまだ上がっていく自信があるからね。『これからだ』っていう気持ちで、ビンビンです(笑)。周りのやつらと同じように衰えていくなんて、そんなのパンクでもなんでもねえじゃんって思うから」

ライブの4日後、62歳の誕生日当日のポートレイト。(撮影/木村琢也)
酒もコンビニフードもパスタも白米も断ってライブに挑む
1980年代中頃、日本の音楽シーンで突如沸き起こったインディーズブーム。
その先頭を力強く走っていたのは、間違いなくラフィンノーズだった。
1985年4月28日には、新宿のスタジオアルタ前で未発表ソノシート(「WHEN THE L’N GO MARCHIN’INN(聖者が街にやってくる)」収録)を無料配布することが事前告知された。
すると、ギンギンなファッションのパンクスから、ごく普通の格好の少女まで1200人余りのファンが詰めかけ、チャーミーが登場すると一帯はパニック寸前になった。
危険を察知したチャーミーはガードレールにのぼり、歓声を上げるファンに対して「おまえらまずは冷静になれ。危ないから押すな! ゆっくり下がれ!」と呼びかけた。
この「ソノシートばらまき事件」は全国ニュースでも取り上げられ、ラフィンノーズという新進気鋭バンドの人気の凄まじさを世に知らしめる結果となった。
メジャーデビュー1か月前となった1985年10月26日の日比谷野外音楽堂ライブでは、当時のインディーズバンドとしては異例の、4000人を超えるファンを動員。
そうした数々の逸話を引っさげて、ラフィンノーズは同年11月21日にVAPよりメジャーデビューした。
その頃のチャーミーは、20代前半の若者だった。
そして、それから40年弱が経過した今も、チャーミーの印象は当時とさほど変わらない。
ライブでは2時間にわたって全身全霊で歌い、ステージ狭しと動き回り、ときには客席にダイブする。そのスタミナもさることながら、見た目もスマートだ。よほど鍛えたり節制したりしているのだろうか。
「意識するようになってから3〜4か月なんでまだまだだけど、最近、以前よりすごく気をつけているのが“食”です。具体的にですか? コンビニフードは食わない。1日3食ではなく1.5食ぐらいにして、がっつり食うのは1食だけ。あとはグルテンフリーや玄米食ですね。
肉は好きだからビーガンではないけど、放牧されて育ったグラスフェッドビーフを選ぶようにしています。ホルモン剤でバッチバチの肉なんて、もう食べられない。コンビニのおにぎりやお弁当も、裏面を見ると添加物だらけ、毒物まみれですよ。そういうことを意識しはじめたら、明らかに体の調子がいい。体重もすっと落ちて、俺、今は20代よりスリムです。あれ、なんの話してんだろう。今日はこういう話でいいの(笑)?」

インタビュー時は柔和な笑顔も。ライブとのギャップも魅力。(撮影/木村琢也)
今のチャーミーを知るうえでとても興味深い話なので、ぜひ続けていただこう。
かつては浴びるように飲んでいた酒も、だいぶ前にキッパリやめたそうだ。
「酒は完全に行くところまで行って、ドクターストップがかかった。東日本大震災の前だったかな。『あんた、これ以上飲んだらもう死にます』って医者からはっきり言われたんです。やめてからもしばらくは、離脱症の振戦せん妄というのが出て、大変でしたよ。本当なら入院しないといけない状態だったんですけど、自力でやめられました」
チャーミーは意志が強い。
盟友であるラフィンノーズのベーシスト、ポンは今も酒好きだ。隣でガンガン飲まれても気にならないのだろうか。
「気にならないし、ポンにはむしろ飲んでもらわないと(笑)。人それぞれの人生、生きざまだから。でも、食について俺が何か話すと、一番食いついてくるのはポンなんですよ。俺はちょっと前まで、アスリートのように、ライブの2時間前に必ずパスタを食べてましたけど、今はそれもやめてファスティングです。ライブ前日から20時間ぐらいはプチ断食で、腹にほとんど何も入れません。そういうことをポンに話すと、『マジか!? 俺もその域に行きたいわ!』って食いついてくる。ポンは、マインドが昔から本当にオープンなんです」
40年以上の長い付き合いになるチャーミーとポンの絆は、傍からは推しはかれないほど強いものに違いない。チャーミーもポンのことを話すときは、何か特別な感情が動いているようにも見受けられる。
「ポンと向いている方向が一緒であることは間違いないかな。お互いに同じことがしたくて、同じような方向に進んでいる。俺ら2人は、絶対一緒にいなければいけないっていう意識が、今さらながらちょっと芽生えてますね。だから、『おまえ、長生きしてくれよ』って。向こうは絶対、俺のほうが先に死ぬと思ってるだろうけどね(笑)。
この前もポンに、『ちょっとジャンクフード食べ過ぎだぞ』って言ったら、『ほんまやな。俺もジャンクフードやめようかな』って言ってましたけどね」
『鬼滅の刃』で号泣? 意外すぎるチャーミーの私生活
1980年代からのパンク好きにとっては、圧倒的なカリスマであるラフィンノーズのチャーミー。そんな彼から、私生活で気をつけていることとして、身近な食の話題が出てきたことに驚きつつ、さらにプライベートな話題を振ってみた。
――休みの日なんか、何をしているんですか?
マイヒーローに対して、こんなベタな質問をしていいのだろうかと思いながらも。
「映画がすごく好きだから、家でNetflixやAmazonプライムビデオを観まくりです。プロジェクターを使って、壁に150インチくらいのサイズででっかく映して。最近、友達に『なんか面白い映画ある?』って聞いたら、『鬼滅の刃』と言うんですよ。
アニメ? 俺にアニメを推す!? おかしいだろ、ハードル高いなあ! って最初は思ったけど、でもまあ君が言うならと試しに観てみたら……号泣(笑)。食わず嫌いというか、自分で変なハードルをつくって、観る前から『ないない』って思うのは良くないなと、改めて思いました。
あれも良かったな。Netflixドラマの『サンクチュアリ』。めちゃくちゃ面白かったですね。あと最近は、YouTubeで食に関する動画もたくさん観てます」

ライブと同じくインタビューも手を抜くことはない。(撮影/木村琢也)
そしてもうひとつ、プライベートのチャーミーに欠かせないのが、お風呂なのだそうだ。
「俺は本当にお風呂が好きで、行ける日はほぼ毎日のように近所のスーパー銭湯に行きます。最近はやりのサウナはあまり好きじゃなくて、お湯に浸かる風呂好き。毎日、風呂で1時間から1時間半くらい過ごすんだけど、完全にリラックスできる。風呂は最高ですよ。
ライブで弾けるときはバコーンと弾けて、お風呂でガツーンと抜く。そういうメリハリをちゃんとしないとダメなんですよね」
チャーミーの底知れぬパワーの源が、少しずつ見えてきた気がする。
食、映画、風呂。
音楽の世界から離れ夢中になれることや、完全にリラックスできる時間を持つことが、今のチャーミーにとっては何よりも大切らしい。
「ライブは毎回しんどいですけど、100パーセント出し切らないとイヤなんで、手を抜いたことは一回もない。一回も、ないです。手を抜いたライブなんてやったら、自分が許せなくなるから。どんな仕事でもそうだと思うけど、とにかく全力でやり切って、こけたらそれでもいいじゃないかと思います。とにかく全力で、100パーセントの力を出し切って、明日のことなんかは考えない。そういうことだと思いますけどね、大事なのは」
ドキュメンタリー「ラフィンノーズという生き方」
2011年、結成30周年時に制作・放送されたラフィンノーズ初の公式ドキュメンタリーフィルム。50歳時のチャーミーと変わらずライブで全国を回るバンドの姿をぜひご視聴ください。
【プロフィール】
チャーミー/1961年6月21日生まれ、宮城県気仙沼市出身。
1981年12月に大阪で結成したパンクロックバンド「ラフィンノーズ」のヴォーカル。
83年12月、自ら立ち上げたインディーズ・レーベル「AA RECORES」よりファーストシングル『GET THE GLORY』をリリース。84年11月、ファーストアルバム『PUSSY FOR SALE』をリリース。85年11月、VAPよりアルバム『LAUGHIN’ NOSE』、シングル『BROKEN GENERATION』でメジャーデビューを果たすも、レコード会社の移籍、メンバーの脱退などもあり1991年に一度解散するも、1995年に再結成。以後、結成40年を超えた今も精力的なライブ活動を続けている。
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ラフィンノーズ オフィシャルHP
【撮影協力】
WONDER YOYOGI PARK
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