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過酷なレースで見たいろんな幻覚

大会6日目。午前7時30分の三伏峠。

「初・静岡県のチェックポイントなんで、静岡県に入ったというだけでも嬉しいですね。三峰岳でしたっけ、あの長い仙塩尾根を通った時に、『おお、静岡に来たんだ』と思ったら、急に元気が湧いてきました。一応、これで大浜の地を含む静岡までは辿り着くことができました」

そう語る初出場のナンバー18・中島裕訓(43歳)。山梨県の特別支援学校で教諭を務める。知的障害のある子どもの進路指導をしてきた。太鼓部の顧問。生徒にはいつも「チャレンジするんだぞ」とその大切さを説く。それを、自分がこのレースに挑戦することをもって示したい。

「ただの変態レースだけど、今の子どもたちの世界から失われていく“リアル”が詰まっている」。次々と幻覚に襲われて、日焼けと大量のヒルに咬まれて血まみれの足で415kmを走った43歳の冒険_1
「余裕ッス」と語る中島選手
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スノーボードの指導員の資格も持ち、全日本スノーボード技術選手権大会には、山梨県代表として数回出場。3人組の庶民派ロックバンドではドラムスを担当するなど、趣味も多彩。

登山は、北アルプス南部地区の山岳遭難防止対策協会救助隊員をしていた父からの誘いで、大学生時代に夏休みを利用して3年間、父の仕事の手伝いをした頃から親しんできた。

2012年のレースを見て、興味を持つ。

「子どもの頃、地図を眺めながら『ここの稜線とこっちをつないだら面白いんじゃないか』と思ったと思うんですけど、そうした冒険のワクワク感、それがそのまま大人になってやれる。そういう素敵な歳の取り方っていうのはいいですよね」

一庶民でも、日々努力を重ね続けて諦めずにチャレンジを繰り返せば必ず道は開けると証明したい。大会ホームページには「自分らしく、自己と対話をしながら、レースを満喫したい」とあった。その中島は自己のみならず、他者との対話も嫌いではないようだ。

「お話とかもされるんですか」
「いやー、そんなべらべらじゃないですけど……」

と言いつつ饒舌。北アルプスの下り、ババ平手前の河川敷の色とりどりの岩が、まるで野外でバーベキューパーティーをしている集団に見えた、頭の中でNHK・Eテレの“ビーだま・ビーすけ”の曲がエンドレスで流れた、という話を楽しげに開陳し始める。