〈後編〉

東大を「全優」で卒業、財務省を経て弁護士に。社会人経験を経て、ハーバード大学留学、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程に入学……。

聞けば聞くほど、輝かしいキャリア。そんな山口さんがエッセイ『挫折からのキャリア論』(日経BP社)を発売した。本書の133ページに書かれていたのは、社会人デビュー後、ポンコツ扱い、落伍者扱いをされていたことなどが赤裸々に綴られている。

ここまで露悪的に語る必要があるのだろうか、と思うほど衝撃的な内容だ。

「自分は“エリート中のエリート”というプライドを捨てられなかった」

――地元の北海道で過ごされていた高校生時代も、成績優秀だったと聞きました。日々の努力の賜物だったということでしょうか?

振り返ると現代の教育システムが自分に合っていただけなのです。先生(教師)から言われた通り、バカ真面目に予習をして、復習を繰り返す能力に長けていた。そりゃ、勉強は頑張りましたけど、それは他の生徒に負けたくないというだけでした。何かを学ぼうというよりは、闘争心の塊だったと今さらながら思います。

――成績優秀であることがアイデンティティーだったということですか?

そうです。私は“エリート中のエリートです”という、鎧を着ていました。

ラグビー日本代表主将が吐露する自分の「弱さ」。自身の弱さと向き合うための「姫野ノート」に書かれた3つのこと_1
山口真由氏
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――その鎧を着たまま、財務省に入省をしたら、誰も学校の勉強のように指導、指示をしてくれなくなった。自発的に考えて、動くことができなかった山口さんはまったく何もできず、追い込まれていった……というのが退省までの流れですよね。

当時、たったの2年間で辞めるというのは異例でしたので、相当、引き留められました。何人も、何人も面談をすることになって……「オイオイ、ラスボスはどこにいるんだ〜(笑)?」と思うほどでした。基本的には定年までの勤務が前提ですから、教育期間中に辞められるのは、上司にとってもそれなりのマイナス、傷だったと思います。