人的資本は社会に出た20代前半がもっとも大きく、年とともにだんだん減っていって、やがてゼロになります。そう考えれば、若いときに仕事を辞めてしまうのはものすごい損失です。ところが、日本の社会にはこのような非合理的な選択をするひとたちがものすごくたくさんいます。それが専業主婦です。
日本では女子高生に将来の夢を訊ねると「お嫁さん」と答え、20代の女性へのアンケートでは4割以上が「結婚後は夫は外で働き、妻は主婦業に専念すべきだ」と考えています。そこで、「こんな社会はぜったいおかしい!」という女性編集者に勧められて『専業主婦は2億円損をする』(マガジンハウス)という本を書いたのですが(その後、『2億円と専業主婦』と改題して新書版になりました)、発売直後から「炎上」を体験することになりました。
(なぜ私に白羽の立ったかというと、日本では専業主義批判はタブーとされており、こんな企画を引き受ける女性の著者はいないからだそうです)。
Yahoo!ニュースに本の紹介が掲載されたときは、わずか数時間で34万ページビュー、1000件のコメントがつきましたが、そのほとんどが専業主婦と思しき方からの批判でした。すべてに目を通したわけではありませんが、お怒りの理由はかなり定型化されていて、ひとつは「女がそんなに稼げるわけがない」、もうひとつは「好きで専業主婦をやってるわけじゃない」です。
専業主婦は2億円損をする!? 前近代的な性別分業が夫の問題でもある理由
共働き世帯と比較して「専業主婦は2億円損をする」といわれている。その上、欧米と比較して日本の専業主婦の幸福度は非常に低い。日本社会のどこに問題があるのか!? 『不条理な会社人生から自由になる方法 働き方2.0vs4.0』(PHP研究所)から一部抜粋・再構成してお届けする。
「専業主婦は2億円損をする」で炎上
専業主婦が再就職することは難しい
2億円というのは、もちろん私が勝手に決めた数字ではありません。厚生労働省所管の調査機関、労働政策研究・研修機構のデータで、大学・大学院を卒業した平均的な女性が正社員として60歳まで働いたときの生涯賃金は2億1800万円となっています。
この金額には退職金は含まれておらず、いまは年金が支給される65歳まで再雇用で働くのがふつうですから、それを加えれば専業主婦になることで失う収入は2億5000万円から3億円ということになります。
子育てが一段落してから働く女性も増えています。ニッセイ基礎研究所の試算によれば、大卒女性が2度の出産を経て正社員として働きつづけるとして、育休や時短を利用しても生涯収入は2億円を超えますが、第1子出産後に退職し、第2子の子育てが落ち着いてからパートで再就職した場合の生涯収入は6000万円にとどまります。
1億4000万円もの差が生じる理由は、日本では専業主婦が再就職してもパートや非正規の仕事しかないからです。ここからわかるのは、専業主婦になって2億円をドブに捨てることはもちろん、いったん会社を辞めて、子育て後にパートで働いたとしても、その損失はとてつもなく大きいということです。
もちろん、「夫や子どもへの愛情は2億円を超える!」という女性はいるでしょう。でもその一方で、家庭生活に満足している女性の割合を国際比較すると、共働きが当たり前のアメリカでは67%、イギリスでは72%の女性が「満足」と答えているのに、日本はたった46%というデータもあります。
若い女性の多くが専業主婦に憧れ、その夢を実現したにもかかわらず、彼女たちの幸福度はものすごく低いのが日本の現実です。これが「好きで専業主婦をやってるわけじゃない」という批判が出てくる理由でしょう。
「専業主婦問題」は夫の問題でもある
意外だったのは、女性向けのメディアだけではなく、50代の男性向けの雑誌や若いビジネスパーソンのためのメディアからも取材を受けたことです。出版社には、「専業主婦願望の強い彼女に読ませます」という反響も来ているそうです。
専業主婦の家庭には、家事・育児を妻に丸投げして会社に滅私奉公する夫がいます。そんな男たちはいま、定年後の人生に大きな経済的不安を抱えています。50代のサラリーマンがどれほど必死に働いても、これから収入を増やすのはきわめて困難です。「専業主婦問題」は夫の問題でもあるのです。
そんな男たちは、経済的不安を解決するには妻に働いてもらうしかないと気づいています。しかしそれを自分から言い出すことができず、深夜のキッチンにこっそり私の本を置いておこうと考えるのでしょう。
「専業主婦は2億円損をする」というのは、「地球は丸い」のと同じたんなる事実です。
女性の就業率が100%にちかい北欧などでは「なに当たり前のこといっているの」と相手にもされないでしょう。それが日本で「炎上」するのは、「夫が外で働き妻が家を守る」という前近代的な性別分業が行き詰まっていることにうすうす気づいていながら、それを変えられない自分を否定されたと感じるからでしょう。
不安感が大きいという日本の病理
しかしこれは、「だから日本の女はダメなんだ」という話ではありません。同じように事実を指摘しただけで激怒するひとたちがほかにもいるからです。私は10年ほど前からツイッターを始めて、基本は旅とサッカーの話なのですが、ここで述べたようなことをときどきつぶやくことがあります。
たとえば、「これから生涯現役社会が到来する」という話題で、「65歳で定年を迎えてから、年収300万円の仕事をつづければ、75歳までに3000万円になる」と書いたとします。当たり前の話だと思うでしょうが、なんとこのコメントに対してお怒りが殺到するのです。その大半が、「高齢者に年収300万円の仕事なんかない」というものです。
すぐに気づくように、これは「女に(生涯)2億円も稼げるわけがない」というお怒りと同じです。なぜこんなことですぐに炎上するかというと、昼間からネットを見ているようなひとたちはそもそも人的資本が小さい(だからこそ働いていない)という事情があるのかもしれませんが、それ以前に日本人がものすごくネガティブだからでしょう。だからこそいろんなことを悪い方に考えて、ありとあらゆるポジティブな提案に対して「そんなのできるわけない!」と怒り出すのです。
そのことをよく表わしているのが、「病気になったらどうするんだ?」という反論です。もちろん健康でなければ働けない(あるいは働くことが困難になる)のですが、そんなことをいっていたら、「交通事故にあったらどうするんだ?」といって外出すらできなくなります。
さらに不思議なのは、これほどまでにネガティプなひとたちが、交通事故にあうよりはるかに確率の低い宝くじで7億円当たることを夢見て、財布を握りしめて宝くじ売り場に長蛇の列をつくっていることです。
不安感が大きいというのは日本社会に深く根づいた「病理」で、その結果、会社に「安心」を求めて終身雇用にこだわり、自分たちでタコツボをつくって苦しんでいるわけですが、これは逆にいうと、まわりがみんなネガティブなのだから、ポジティブな選択をするとものすごく有利になるということでもあります。
それでは後編で、私の知っている「勇気の出る話」を紹介しましょう。
『不条理な会社人生から自由になる方法 働き方2.0vs4.0』(PHP研究所)
橘玲

2022年3月18日
968円(税込)
文庫 336ページ
978- 4-569-90208-1
人生100年時代に、日本人の働き方はどうシフトすべきか?
本書では、世界の潮流を例に、旧来の日本的なライフスタイルではいずれ立ち行かなることを示しつつ、どのように働き方を変えれば、日本のビジネスパーソンが生き残ることができるか、その解決策を具体的に提示する。
具体的には、
●生き方・働き方が衝撃的に変わる未来
●世界も日本も「リベラル」になっている
●組織に属す働き方、属さない働き方
●「好きなことで生きていく」しかない残酷な世界
●「ぬるい日本」でさっさと億万長者になる
●「どこでも誰とでも働ける」という生き方
●始めるのに遅すぎるということはない
など、煩わしい組織や人間関係から抜け出し、未来世界で生き延びるヒントが満載! これからの生き方・働き方に危機感をいだいている人、必読の1冊。
『働き方2.0vs4.0』を改題し、文庫版だけの「特別寄稿」を加えて、再編集。
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