「プライベートをバラされて何が楽しいの?」と語る娘の夢は

――ひとり娘の百々果さんは、アメリカに留学しましたね。

「そうなんです。百々果は20年前にカリフォルニアで生まれて、しばらく向こうで育っていたので、生まれた所に戻ったような感じですね。母と私の衝突のクッション役がいないってコトや、円安で向こうの生活費も飛行機代も高いしで大変なんですが、私もアメリカの空気を吸うと心身ともにリラックスできて大好きなので、百々果にも向こうで頑張ってもらえたらって思ってます。

百々果、いま飲食店でアルバイトしてるんですって。でも21歳になったらお酒に触れるようになるから、もうちょっとチップが稼げるところに変えるみたい。いまの日本は賃金は全然上がらないけれど、向こうだと例えば高級ワインが飲めるようなお店がいっぱいある。そういうお店だと稼げるからって。これもステップアップですよね。

アメリカで勉強して、将来は不動産の仕事に就きたいって言っています。ビバリーヒルズとかニューポートとか、富裕層が住むエリアで家が売れたらお給料もいいと聞いています。私たちの時代とはまったく違って、いまの子は割に合わない仕事はしたくないんですね」

――芸能の仕事には興味は持たなかった?

「これはもう小さい頃から『やだ』って言ってました。『プライベートをバラされて何が楽しいの?』って。真面目に仕事していても叩かれたり、誰と付き合ってるとか結婚離婚だとかで騒がれるのは考えられないって。
小さい頃からウチにピンポンってマスコミが来ると百々果が出てくれて、『いまママはいません』なんて言ってもらってたこともあって、本人はプライベートはきっちり別にしたいみたい。テレビや映画を観るのは好きだけど、それとこれとは別らしいですね。

恋愛話とかも、私は親にオープンだったけれど、百々果は少しちがって親に話すことには限界があるみたい。パパの四十九日の法要のとき、お坊さんが木魚叩いて読経しているあいだ彼女がすっごい泣いてたの。
『じっじが亡くなってそんなに悲しいの?』って聞いたら、『ちがうの。失恋しちゃって』って言われて、『え、彼氏いたんですか!?』って。わたし知らなくって(笑)。
でも彼氏は絶対いたほうがいい。私もそうだったけれど、彼氏がいない子のほうが遊ぶから……。実際、百々果は門限9時って言っても6時に帰ってきちゃうような子でした」

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百々果さんとのエピソードを語る梅宮アンナさん
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――梅宮さんはアンナさんを心配していましたが、アンナさんは百々果さんのことは見守る感じですね。

「女性は現実的なんですよね、男性は心配ばかりするけれど。うちもママはそういうの絶対反対しなかったけれど、パパは勝手に想像膨らませて心配しちゃうタイプでしたね。だって、門限遅れると、玄関に布団敷いて、寝て待ってたんですよ。怖いでしょ。

でも、パパはほんとうに“イクメン”のはしりだった。人に言われて子育てを率先してやったってわけじゃなく、ほんとに自分がやりたかったみたい。
時代的に俳優さんたちはみんな豪快だったけれど、パパの亡くなったあとにわかったのは実は真面目で地味だったなってことでした」

後編では、この3年間でアンナさんが実感した梅宮辰夫さんの軌跡と遺したものについての話を訊いていく。


取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
撮影/撮影/村上庄吾

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