圧倒的に街から浮いていたイタリア街

JR川崎駅東口にはかつて、プロ野球・大洋ホエールズ(横浜DeNAベイスターズ)やロッテの本拠地である川崎球場(現・富士通スタジアム川崎)があった。フジテレビ系「プロ野球・珍プレー好プレー大賞」で視聴者をよくざわつかせていたのは、川崎球場の観客席を捉えた映像だった。

昭和の空気漂う年季の入った球場の観客席に陣取っていたのは、自宅で観戦しているかのごとく、自由気ままに振る舞っていたり、ウィットに富みすぎた野次を響かせている香ばしい大人たち。筆者は子どもながらに、このエリアに足を踏み入れるには相当な勇気が必要だと思ったものだ。

そこに1988年、日本初の大型シネコン「チネチッタ」、1987年にオールスタンディングのライブホール「クラブチッタ」がオープンした。

今から20年前“労働者の街”に突如、イタリア街が出現。川崎はいかにして“カルチャーの街”になったのか_1
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今から20年前“労働者の街”に突如、イタリア街が出現。川崎はいかにして“カルチャーの街”になったのか_2

特に後者は久保田利伸のこけら落とし公演にはじまり、THE BLUE HEARTS、オアシス、レディオヘッドら国内外のトップアーティストがステージに立った。1997年にはまだ日本では馴染みがなかったハロウィン・イベントもはじまり、欧米の最先端のカルチャーに触れられる若者の憧れの地となった。

そして2002年、同地に突然出現したのがイタリア・トスカーナのサン・ジミニャーノをモデルにした商業施設「ラ チッタデッラ」である。
のちに愛知・名古屋イタリア街や東京・汐留イタリア街など、外国の都市を模した街は各地に誕生したが、当時は斬新で、しかも「あの川崎に!?」という驚きが先に立った。
運営会社の株式会社 チッタ エンタテイメントの広報宣伝室長・土岐一利さんが振り返る。

「ラ チッタデッラができた当初は、圧倒的に街から浮いた存在でした。カルチャーをアメリカで学んで日本に持ってきた今の会長(美須孝子さん)は、川崎がダサいとか言われるのが悔しくて、街を変えたいという気持ちが強かったのだと思います。ラ チッタデッラは“1mmも妥協しないで作ろう”という思いでした」(土岐さん)。