昨年、小説すばる2021年11月号に掲載された短編作品「清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた」(通称:科挙ガチ)がTwitterでバズった佐川恭一氏。このたび本作などを収録した短編集を刊行することとなりました。カルト的な人気を誇る佐川氏。作品、そして人柄を愛する4名の方々にお集まりいただき、その魅力を語っていただきました。
編集部 今回は佐川恭一さんの最新作『清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた』の刊行を記念して、佐川恭一有識者の皆さんにお集まりいただきました。早速なんですが、短編集『科挙ガチ』に収録されている中で、語りたい作品についてお伺いできればと思います。
高橋 私は「すばる文学賞三次通過の女」ですね。この作品には佐川恭一のエッセンスが詰まってるんです。
樋口 めちゃくちゃわかります。
高橋 これはまず、文体が村上春樹のパロディです。佐川恭一はずっと文豪の文体パロディをやってきている。そしてすばる文学賞三次通過という称号をテーマにする人は佐川恭一しかいない。
樋口 ヒロインの雰囲気も佐川感がありますね。『サークルクラッシャー麻紀』に近い。
天沢 『童Q正伝』にも同じような女性が出てきますよね。
樋口 受験などの称号に囚われた主人公と、そして本人の意思とは別に、主人公に不可逆な傷跡を残していくファムファタールみたいな存在ですよね。
大滝 佐川さんは受験や新人賞といった勝ち負けのある世界に異様にこだわりがあるんですよね。この作品でも、最後に主人公が小説を書くようになる。
樋口 書き続ける作家の自意識についても敏感ですよね。
大滝 パロディというレイヤーを一つ挟むことによって、小説を書く人間の自意識を客観視した作品になってるからエンターテインメントとして読めるなと思います。
樋口 ただこの作品集の中では一番エンタメとして成立させる気のない短編だとは思いますよ。他の作品はエンタメとして成功してますよね。私の中では、佐川恭一という作家は、性を主軸としたシスヘテロ男性の自意識をテーマにして、文学的教養に裏打ちされた形で、面白おかしく、悲哀も織り交ぜつつ描く、という作家だと思っているんですが、この作品はまさにそういうテーマと手法が出ている作品。ただ他の作品ってエンタメ的要素、例えばキャラクターの強度やプロットとしてのダイナミズムがあったりと、エンタメとして成立させようとしている側面が強くなっているように感じます。
高橋 わかります。確実に変化のみられる短編集ですね。私はそれを集英社によるフォースの導きと呼んでます(笑)。
編集部 佐川さんの作品は一種オープンエンド的に終わらせる、自意識の延長が見える形の作品が多かったですが、この短編集の一つ一つはオチをつけるような、閉じていく動きがありますよね。
天沢 僕の一押しは「東大A判定記念パーティ」ですね。パワーワードとして、先ほどのすばる文学賞三次通過と同じように東大A判定というのがある。東大合格、ではなく模試のA判定というところ。そもそもスタートラインがおかしいんですよね。そのおかしいスタートからどんどんエスカレーションされていくのは素晴らしかったです。
高橋 20浪してますからね。
天沢 僕はSF作家なので、20浪ってSFじゃん! となりました。A判定をとった川村という男が自分で自分を祝う演出をしてるんですが、クラブミュージックが流れて、今までの判定が全て表示されていく。そして音楽の高潮に合わせて「A」判定がスクリーンに映し出されるんです。最高のシーンでした。
高橋 EDMのブレイクのところですよね(笑)。
大滝 このシーンは『受賞第一作』が少し脳裏をよぎりました。まさに模試のA判定結果を額縁に入れて飾るシーンがあるんです。佐川さんって文学賞の受賞自体よりも五大文芸誌の通過歴にこだわり、そして受験では合格より模試にこだわる。何か倒錯したような執着を描きますよね。
樋口 アイテムの使い方は旧来の佐川さんなんだけど、この作品はやっぱりエンタメ後の佐川恭一だなとは思います。決定的に違うのが、A判定を取った人物が語り手ではなく、その友人が語り手となっているところです。視点人物は常に客観的にみているというのが構造的に異なっています。 中盤以降A判定の紙が何かの原因で紛失しますが、そこからの展開がほとんど「燃えよドラゴン」みたいな感じなんですよ。この面白さは小説すばる以後の佐川恭一だなと。
ツッコミながらも読める「科挙ガチ」
樋口 では私は「科挙ガチ」で。本当に面白い作品ですよね。異世界転生ものをやってみた、という作品。受験の文脈の上に科挙という題材があったのかなと思います。佐川さんの作品って、青い鳥的なものを目指すも青い鳥は捕まえられずに、その捕まえられない過程でもがき続けることがずっと描かれてきたんですが、「科挙ガチ」はもがく過程の自意識というものはあまり描かれず、わかりやすくエンタメとして描かれ、青い鳥=科挙の合格という達成については簡便に数行で書かれて終わる。これまでの佐川さんの作品には完全になかったものだなと思います。
高橋 一つの見せ場に英俊が最後の試験のために勉強法を発展させて、記憶の寺を作り出す様が描かれますが、それも面白いんですよね。
樋口 自分が解かないといけない問題とかはそのでかい寺の柱に全部書いてあるから、その柱に書かれてる文章を見つけに行けばいいみたいなことが書かれていてとんでもなかった(笑)。
高橋 でも実際に、手元に本を残せず、書籍を何度も読める状態ではなかった時代は丸暗記してたらしいですよ。建築に譬えて暗記する技術もあったらしい。
樋口 調べて書いてるんですね。
高橋 いや、調べて書かれたものなのか、佐川さんが自分でこの境地に到達した可能性もありますが(笑)。
大滝 その記憶方法含め、最初から最後まで読者に対して一種の嫌がらせみたいな、大きなボケみたいな感じはありますよね。
樋口 そうですね、常にツッコミを入れるような感じ。面白ポイントはサービス精神でちりばめられてるんですけれど、その面白さは一瞬で終わるので、面白かったけれど自分がどこを面白がったのかわかりにくい作品でもある。
高橋 ヒロインの蘇蘭が普通に現代語を話すところとかもツッコミポイントですよね。なんならギャル語。
樋口 時代は清朝だけれど現代の日本のような譬えだったりとか
天沢 中国の街は何も書いていないんですよね。書く部分とそうでない部分が明確に分かれているのも面白い。
大滝 確かに。ただ清朝要素は微かにあるので、謎の暗記技術とオシッコだけにならずに済んだともいえますが……。
樋口 構成についても情報量のアンバランスさを保ちつつ壊れていないように感じてしまうマジックがあるんですが、シンプルに情報の整合性についても壊れかけていつつ保たれているのを感じます。 例えば転生のきっかけになった黒ギャルとサブカル風男。試験中にサブカル風男が英俊の前に現れますが、その記憶が現世に戻ってきた時にちゃんと繫がっている。ここは説明らしき説明はないんですが、不思議と納得してしまう部分で、こういったのは小説のマジックなんだなと思いました。
大滝 僕が語りたい作品は、「花火大会撲滅作戦」と「踊る阿呆」です。「踊る阿呆」は阿波しらさぎ文学賞の受賞作ですね。佐川さんは新聞に載せられる小説ということを考えて執筆されたそうで、下ネタはほぼ全カットだそうです。ずっと佐川さんの作品を読んできましたが、確かにそれまでこんなに小綺麗な作品はなかったなと思ったんですね。 昔、あまり下ネタ的なものは少なくて、ちょっと陰湿な文学みたいなことをやってた時期が初期にあるんですけども、それとも全然違うなと。垢抜けた感じがあったんですね。それが受賞に至った。そして小説すばる編集部から、「踊る阿呆」みたいな作品が欲しいと依頼されて書かれたのが「花火大会撲滅作戦」。実際これらを読み比べたらほぼ一緒の話なんですよね。エンタメとしての構造が非常に似ています。モテない男2人がいて、でもその2人がモテ男たちに悪態をつきながらもフレンドシップを育んでいくような。そして女の子といい感じになっていったりという明るいラストを迎える構造。
樋口 「少年激走録」とかもそうですね。
大滝 まさに樋口さんが小説すばる以後といった、エンタメの方向に開けていく佐川さんの基礎はこの2作品で出来上がっているように思います。 佐川さんにはいくつかターニングポイントがあるように感じていて、初期は近代日本文学志向が強かったと思うんですね。『舞踏会』に収録されている「冷たい丘」という作品が初期佐川恭一の作品で、三島由紀夫の『金閣寺』っぽさがある。アイデンティティー文学の側面が強かったんです。 大きな転機になったのはやはり『サークルクラッシャー麻紀』だと思いますね。『サークルクラッシャー麻紀』と「踊る阿呆」が二つの大きなターニングポイントで、どんどん人を楽しませる方向に向かっているように感じます。
高橋 いい意味で数字を狙うようになったというか、こういうことをやると読者の反応があるな、ということを実践していっていますよね。