月収200~300万円から25万円になって変わったこと

しかし、14年というブランクは長い。ゆみさんが最初にとった行動は復職にあたっての専門書を読むことや東京都の看護師協会に講義と実技の試験を受けにいくことだった。

「復職にあたっては本を読み漁り、受けられる講義や実技はすべて受けました。そしてワクチン接種会場で打ち手のバイトを1か月間やり、次に治験のデータをとる1年間の契約バイトを経て、この春からコロナ患者も受け入れている病床100ほどの中規模病院に完全復職しました」

月収200万円から25万円に…吉原の人気No.1風俗嬢はなぜ看護師に転職したのか?_4
復職後、勤務中に撮った自撮り写真

一方で、復職時の書類や面接時に14年間というブランクをどう説明したのだろうか。

「銀行で人事のお仕事をするお客様にアドバイスを受けて、『婚約者に養ってもらいながら家事手伝いをしていた』と言いました。風俗経験は言ってもいいことは何もないから徹底して嘘で固めろと。嘘をつくことに抵抗はありましたが、お客様からの『何でもかんでも正直に言わないでいい』という言葉と、『やめたら二度と戻るな』という言葉を励みにしました」

復職にあたり一番の心配は、生活水準を大幅に下げなければいけないことだった。

「多い時で月収200万円から300万円もありましたが、現在の月収は25万円。まず家賃12万5000円の住まいから7万円に下げ、風俗嬢時代は外食やコンビニ弁当で済ませていた食費を自炊中心にして、外食は月1回程度にするようになりました。以前は飲酒する時はバーとかでお酒を楽しんでいましたが、一切やめて自宅で発泡酒やサワーを自作。なにより風俗嬢時代のほとんどの同僚との付き合いをやめました」

人間関係の清算をしたのは「風俗嬢時代の友達と付き合ってたら華やかな暮らしをする彼女らを羨ましく感じて戻りたいと思ってしまうかもしれないから」と話すゆみさん。

「実際、吉原は熟女店や高齢女性店もあって何歳でも働ける街。なので私もいつまでも踏ん切りがつかなかったし、実際そんな女性は多いです。誰もが『私なんかが一般社会に戻れるわけがない』と思っていて。それはやっぱり、生活水準を下げるのが怖いってのもひとつの理由だと思います」