日本独自の食文化のなりたちを研究する「近代食文化研究会」の主要メンバーが教えてくれる食トリビア。今回は「たこ焼き」「串カツ」「東京ラーメン」「ナポリタン」の秘密に迫る!
「ラジオ焼き」から生まれた「たこ焼き」
関西のソウルフード、「たこ焼き」の誕生秘話は?
「たこ焼きの元祖としてよく語られる料理に、『ラジオ焼き』というスジ肉を具材として丸く焼いた粉もの料理があります。この特徴的なネーミングですが、当時としてはハイカラな食べ物で、同じく当時ハイカラの象徴だったラジオにあやかったため、とされています。
大阪のとあるたこ焼き店が昭和10年12月ごろにラジオ焼きにたこを入れたことが初めてのたこ焼きとよく言われていますが、これは正確ではなく、それよりも数ヶ月前の時点で、大阪の夜店で『たこやき』という名前の、ラジオ焼きにたこを入れた料理を出していたという記録が残っています。
いずれにしても、昭和初期にはたこ焼きは存在していました。しかし、当時のたこ焼きは『弁当箱に100個詰めて持ち帰った』なんて話もありました。
たこも、たこ焼き自体もかなり小さいサイズで、文献から推測するにだいたい2cmくらいのサイズだった可能性が高いです。ちなみに、生地に味がついていたため、ソースはかけなかったそうです」
実は東京生まれだった「串カツ」
同じく大阪名物の「串カツ」は、実は東京生まれなのだそうだ。
「大阪のとある店が、昭和4年に串かつを発明し、ソース二度漬け禁止の仕組みを作ったといわれますが、個人的にはそれは信ぴょう性は低いと考えています。
というのも、串かつは明治末期から大正初期の東京で『フライ』という名で生まれ、そのときすでにブームとなっているからです。
ソース共用二度漬け禁止のルールも、東京の天ぷら屋台の天つゆや、寿司屋台の醤油をつける際に生まれた東京人のローカルルール。これが東京生まれの串カツにも流用されたと考えられます」