「どうすればああいう大人になれるんだろう」を聞きに行く
創刊翌年の1999年、不登校当事者の子どもたちが自ら取材する編集部が立ち上がる。現在の「子ども若者編集部」である。当時の編集長から誘われ、石井さんも参加した。
「言った本人は全く覚えていないようなのですが、取材というツールを使うと有名人に会えると言われて。私は当時好きだったみうらじゅんさんや大槻ケンヂさん、糸井重里さんなどの『タモリ倶楽部』に出ていた人たちに会いたかったんです。自分で不登校経験を話しながらもこれから生きていくことに自信がなくて、どうやって生きていったらいいかもわからない。けれども『タモリ倶楽部』の中の人たちは楽しそうで、ああいう大人たちになりたい。どうすればそうなれるのかを聞きたいと思って会いに行くんです」
予算がないため、取材はノーギャラで依頼。それは今も変わらない。糸井さんの取材時には石井さんが開始時間を間違えて、無連絡で30分も遅刻してしまい、ヒヤヒヤしたことを覚えているという。取材を通じてだんだんと、気持ち一つで真剣に向き合ってくれる大人たちに救われていった(※)。その後、自分の道はこれしかないと感じ、不登校新聞で働きたいとの思いを強くする。
2001年より正式に社員となり、2006年には前編集長の退任によって編集長の座に着いた。今年9月1日付の本紙で編集長の交代を発表し、運営するNPO法人の代表に就任する。
※石井さんが取材したみうらじゅんさん、大槻ケンヂさん、糸井重里さんの記事は、『続 学校に行きたくない君へ』(ポプラ社)に収録されている
現在編集部には9名が在籍しており、そのうち不登校経験者が半数以上だ。子ども若者編集部には約100名が所属。実売は3700部で、全国各地に読者がいる。新聞は国内約100箇所の公共図書館でも読むことができる。ここ数年はテレビや新聞などのメディアで取り上げられる機会が飛躍的に増え、2021年は公表分で70件もの数がある。順風満帆にみえるが、2012年には休刊の危機に瀕していた。販売数が採算ラインである1100部を下回り、800部に落ち込んでしまったのだ。