ありがた迷惑!?
『与太郎侍』がゆく
新シリーズ幕開きに寄せて
名作・山手樹一郎の『桃太郎侍』、一条明の『金太郎侍』……そして令和の“迷作”『与太郎侍』が誕生します! と自画自賛。
作風とテーマは「イノセントな人物による、ありがた迷惑」です。
何にでも首を突っ込んでは事態を悪化させてしまうが、主人公の人柄と巻き込まれた人たちとの善意が重なって、結果オーライ的に物事が解決する寓話のような物語です。もちろん、義俠心や親切心で目の前の困っている人を助け、悪事を働く奴を懲らしめます。が、与太郎が本当に狙ってやったかどうかは、定かでありません。
「そもそも与太郎の旦那が関わらなければ、何事もなかったんじゃねえ? もしかして“小さな親切、大きなお世話”」
みたいな、ちょっと惚けたキャラの“正義感”が本当は少し迷惑かも、という状況の時代小説をユーモラスに描きたいと思いました。
私はかつてテレビ時代劇を手がけていたので、小説を書き始めた頃には、「ご存知もの風なのは避ける」「解決として人殺しはしない」というふたつだけは心に決めておりました。つまり権力で断罪したり、救いようのない極悪人だからと始末することもしません。こういう溜飲の下げ方は避けたのです。
元々、今の若者は知らないでしょうが、昭和時代に人気を博した佐々木邦や獅子文六、源氏鶏太、藤井重夫や有明夏夫のようなユーモア小説が大好きでした。腹立つ人や憎たらしい人は登場しますが、結局、人間が生まれ持っている“善性”があって、自ら反省したり恥じ入ったりするのです。そこに人と人の素直なふれあいや優しさを感じたものでした。時代小説も山手樹一郎の『夢介千両みやげ』や山本周五郎の『楽天旅日記』などを好んで読みました。
ですから、手前味噌ですが、『くらがり同心裁許帳』や『梟与力吟味帳』(NHK土曜時代劇「オトコマエ!」原作)」『樽屋三四郎言上帳』などで、主人公はスーパーヒーローではなく、ふつうの真面目な人物。そこに“おかしみ”や“うがち”を添えた作風で書いてきたつもりです。もちろん、時代小説には不可欠の人情、活劇、風格や品性という軸は外してはなりません。ですから、『与太郎侍』シリーズも時代考証や人物のリアリティは当然のことながら、ちょっとした笑いの中に時代小説らしい“美学”を追求していきたいと思います。
実は、この作品は、集英社の岩田さんが、拙作『寅右衛門どの江戸日記』や『ご隠居は福の神』などを読んで下さり、まるで熱烈なファンレターのような手紙をいただいてからスタートしたものです。岩田さんの目指すところも「深刻なテーマでもユーモラスに描く」という小説で、私としては願ったり叶ったりと舞い上がりました。何度か打ち合わせをして、誕生したのが『与太郎侍』です。題名どおり、素直なおかしみがあって楽しい時代小説になっていればと思います。
もちろん、ただのアチャラカやおふざけをするつもりはありません。舞台となる江戸時代に、現実に生きていた人間を、真剣に見つめる眼差しをきちんと注ぎ込んでいます。あくまでも、本当にいそうな「ドジで、間抜けで、悲しいくらいお人好しな、あるいは小ずるい、さもしい、いい加減で適当で、はたまたクソ真面目な」様々な人間のささやかな“本性”を笑い飛ばす物語です。人間てよくよく観察すると、説明の出来ないおかしみに溢れています。矛盾や不条理、不合理で一杯です。まさに人間喜劇。
物語は、足柄山の金太郎さながらに箱根の山奥で育った青年が、成り行きで町に下りて来たところから始まります。しかし、なぜか自分のことを狙ってくる怪しげな者たちがいる。まったく身に覚えのない与太郎が、降りかかってきた事件に首を突っ込む間に、己の出自も含めて、色々な謎が少しずつ明らかになってきます。
やがて、活気ある江戸の市井の人々と暮らすうちに、時には喧嘩をしたりしながらも、夫婦や親子、師弟などの情愛、武士の矜持や職人の気質など、凜として生きている人々の息づかいを庶民の目で見つめるようになっていく。そうすることで、山猿だった与太郎が生身の人間の息吹を感じていくように“成長”します。
何をどう笑うかは、幸せの感じ方にも通じ、社会観や価値観、人生観を考えることにもなります。人間て、悲しいくらい、おかしい生き物だということを、誰にでもある“そこつ”な面を笑って、古くて新しい人生賛歌を味わえるユーモア時代小説です。宝塚の雪組で上演された『夢介千両みやげ』に負けないミュージカル時代劇になることを祈ってます。