「妻を見ているのが辛い」

難民キャンプには海外の支援団体が運営する診療所があり、ヌールは仏医療援助団体「国境なき医師団(MSF)」で検査と治療を受けた。その結果、性感染症にも罹患せず、妊娠もしていないことがわかり安堵したという。

だがその後も彼女は原因不明の不正出血や頭痛、呼吸困難や身体の痛みに悩まされた。初めて会った当時は虐殺から10ヵ月が過ぎていたが、ヌールの表情は虚ろで、とても疲れているように見えた。

性暴力を受けた女性たちは、周囲の心ない反応にも苦しむ。彼女たちは「家族の恥」と見なされ、コミュニティで孤立することも少なくない。未婚の女性の場合は、結婚相手を見つけるのも難しくなる。被害を受けた女性たち自身も、家族や自分に批判が及ぶことを恐れ、辛い経験を自分の胸にしまい込みがちだ。被害者女性がさらに追いつめられるこの理不尽な状況をどう思うかとヌールに問うと、彼女ははっきりとこう言った。

「私たちは何も悪いことをしていません。罰せられるべきは加害者である国軍兵士やラカイン人です。なのになぜ私たちが、自分を恥じなければならないのでしょうか」

この発言を聞いて、もっと彼女の話を聞きたくなった。ロヒンギャのなかでもラカイン州北部に住む人たちは、特に保守的だと言われる。難民キャンプで出会った女性たちは故郷での壮絶な経験で深く傷ついていることもあり、自分の意見をはっきり言う人は少ない印象を持っていた。ところがヌールは、自分のコミュニティに盾突くようなことを毅然と言う。こんなロヒンギャ女性に会ったのは初めてだった。彼女はさらにこう続けた。

「私も最初は自分の身に起きたことを恥じて、声をあげられませんでした。でも、国軍によって私たちは愛する家族や故郷、その他の大切なものをすべて失いました。このままでは私たちは一生、難民キャンプに暮らさなければなりません。それなのに悪人は野放しのままなんておかしい。ロヒンギャに起きたことを多くの人に知ってほしいし、正義と公正さのために国際社会にも動いてほしい。だから今日、あなたに話そうと思ったんです」

体調の悪さから、当時のヌールは毎日ほとんど寝たきりの生活を送っていた。そんな彼女を支えたのが夫のモハマドだ。自身も国軍兵士に拷問された傷の治療のためにまだ診療所に通っているが、その一方で何もできない妻の代わりに食事を作り、3人の子どもたちの世話をしているという。モハマドは妻を助けられなかったと自分を責め、ときおり泣くのだとヌールは語った。

「私の身に起きたことのせいであなたを苦しめていたら申し訳ないと謝ると、私には何の罪もないのだから償いは必要ない、と夫は言ってくれました。彼はいまも私を大切にしてくれます」

ヌールに取材した後、外出中に豪雨に降られて外で足止めを食っていたモハマドに会いに行った。彼は屋根のある建設現場の足場にぽつんと座り、雨宿りをしていた。

ヌールが、あなたは献身的に妻を支えるよい夫だとほめていましたよ、と伝えるとモハマドは淡々と言った。

「私は妻を愛しているし、妻も私を尊敬してくれている。だから彼女を助けたい。ただそれだけです」

あの日、国軍兵士の拷問から何とか逃げられたモハマドは、村人から女たちが襲われたと聞き、必死にヌールを探したという。その脳裏には、凌辱された後の妻の姿が浮かんだようだった。

「妻は空き家で、倒れたまま意識を失っていました。ひどい重体で、私も子どもたちも彼女の姿を見て涙が止まりませんでした。妻はずっと痛い、死ぬと繰り返していて、本当に死んでしまうかと思いました」

ヌールが心配ですか? と問うと、彼は少し複雑な表情を浮かべた。

「もちろん心配です。でも、彼女が苦しんでいたとしても、何をすればいいのか私にはわからない。妻を救えるのは神だけです」

性暴力を受けた女性を責める人もいると聞きます──私のその言葉にモハマドの切れ長の眼がさらに不安定な色に揺らめいた。

「国軍兵士から暴力を受けたせいで、妻も私も体調が悪い。でも、私たちには子どもたちを育てる責任があります。私が妻を殴ったり、殺したりしたら、誰が子どもたちの世話をするのでしょう。私は妻に暴力を振るいたくない。でも妻を見ているのは辛いです」

そう言うと、モハマドは口をつぐんだ。次の言葉を待ったが、彼の意識は深い闇に沈んでしまったように見えた。降りしきる雨のなか、私たちはしばらくその場を動けなかった。

ヌールとモハマドはお互いを思い合いながらも、虐殺の記憶に悩まされている。その夫婦関係に心を揺さぶられ、帰国の前日、私はもう一度彼らに会いに行った。

また来たのかと煙たがられたらどうしようかと思ったが、ヌールもモハマドも意外なほど再訪を喜んでくれた。少し顔を見て帰るつもりだったが、昼食にチキンカレーまでごちそうになる。もてなしのために何とか食材を買う金を工面してくれたようで、ありがたさと申し訳なさで頭を下げっぱなしだった。それから私は2年にわたり彼らを訪ね続けた。