萩生田「骨格発言」の振付師は誰か?

はたして岸田首相は今回の早期改造を通じて、安倍派を抑えて岸田カラーを発揮したいという隠れた目的を達成できたのだろうか?

その答えは「8月7日の岸田・萩生田会談にある」と指摘するのは、永田町の動きに詳しいジャーナリストの川村晃司氏だ。

「この日、首相と萩生田氏は官邸で40分間話し込んでいます。おそらく、この時点で萩生田氏の政調会長起用が両者の間で合意されていたはずです。

安倍派内では安倍さんの跡目をめぐって、下村博文元政調会長や西村康稔元経済担当相ら、7奉行と呼ばれる幹部らが争っている。そんな時にあえて萩生田氏を大臣3ポスト分の経歴に相当するとされる要職の政調会長に起用するんです。その意味するところは明らかな萩生田重用であり、『今後、安倍派とやり取りする際の窓口はあなたですよ』という岸田首相のメッセージと考えるべきです」

つまり、岸田首相との交渉力においては、萩生田氏が7奉行のなかで頭ひとつ抜けた存在になるわけだ。前出の自民秘書が言う。

「『萩生田氏に主導権をとられた』と、焦る残りの6奉行が巻き返しを図って、派閥の結束が乱れれば、岸田首相の思うツボ。ただでさえ安倍さんという絶対的領袖を失って分裂含みの安倍派をさらに弱体化させ、岸田カラーを存分に発揮できると計算しているのです」

ただ、萩生田氏は翌8日の会見で一部のメディアが「経産相交替の見込み」などと報道していることに触れ、「自分は(岸田政権の)骨格じゃなかったのか? という思いもある。引き続き、経産相を務めたい」と、首相への不満とも注文ともとれる発言をしている。これを聞くと、あたかも首相と萩生田氏の間に火花が散っているかのように映るのだが…。

「あれは一種のポーズでしょう。そんな時に自分だけが岸田首相から厚遇されれば、嫉妬されかねない。そうならないよう、岸田首相とも合意の上、『自分も経産相ポストを追われようとしている』と、派内に向けてアピールしたと見ています」(前出・川村氏)

この時期の岸田首相の動静を時系列で整理すると、意外な事実が浮かびあがってくる。

まずは8月6日。岸田首相は地元・広島での原爆死没者慰霊式後の会見で10日の改造人事を明言し、その日のうちに帰京。午後6時3分から7時26分まで公邸で麻生太郎自民副総裁と話し込んでいる。

次に8月7日。この日は朝から公邸で過ごし、午後3時27分から40分間、萩生田氏と面談。その後、4時57分から5時53分まで茂木幹事長と会っている。つまり、7日夕方から8日夕方までのほぼ24時間で、普段は毎日おびただしい来客者と面会する岸田首相が会った人物は麻生、萩生田、茂木の3氏だけなのだ。川村氏が続ける。

「麻生氏と相談の上、萩生田重用の方針を合意し、それを翌日に萩生田氏本人に伝達。その直後に党4役人事の調整を、茂木幹事長に依頼したのでしょう。ひょっとしたら、8日の萩生田氏の『オレは骨格じゃないのか?』というポーズ発言は本人のアイデアというより、麻生氏あたりのアドバイスがあったのかもしれません」

全国紙政治部デスクもこう言う。

「安倍7奉行と呼ばれる有力者は松野博一官房長官、高木毅国対委員長、世耕弘成参院会長が留任、萩生田氏のライバルとされる西村康稔氏は経産相として入閣しています。しかも、派閥の大臣ポスト枠も第1次岸田改造内閣と同じ4ポストを確保している

これだと安倍派としては文句を言いづらい。それでいて、結果として萩生田さんが7奉行の中で頭ひとつ抜け出る形になっている。当然、萩生田さんは岸田首相に恩義を感じ、忠誠を尽くすことになるし、そうなれば岸田首相は安倍派に遠慮することなく、岸田カラーを発揮できるようになる。脱安倍派を実現するため、本当によく考え抜かれた改造人事だと言えます」