桜宮(大阪)でのコーチを経て、87年に履正社で監督人生が始まった。長い教員生活で育んだ教育観がある。「無理やりさせてもあかん。自分で楽しくなって、どんどん、やっていかないとあかん」。

だから、履正社時代、選手に問いかけてきた言葉がある。

「試合して楽しいか?」

岡田が紆余曲折を経て、たどり着いた境地だ。東洋大姫路の現役時、スパルタ式でしごかれ、3年春はセンバツ4強に進出した。ド根性が美徳とされた昭和だった。履正社での青年期、岡田はモーレツ路線で突き進んだ末、挫折した。02年に行き過ぎた指導で半年間の謹慎となった。自らを見つめ直す時間になったという。

「もう同じことはできない」

ふと、日体大4年時にアメリカ西海岸でキャンプを張ったことを思い出した。
「アメリカは個人主義、日本は集団主義と言われます。私は個人主義って、それぞれが勝手気ままにしている先入観があった。でもそうではなかった」

ウオーミングアップの考え方が象徴していた。体が温まる速さは個人差がある。個々で動いて仕上げてくればいい。集団で動く日本と逆の考え方だった。

また彼らは大リーグが目標だった。試合に出場できない選手は「僕はなぜダメなのか」とコーチに問いただす。日本では考えられない光景だった。コーチもまた、普通に受け答えしていた。自主性を尊重し、一方通行にならないコミュニケーションを取るという現在の指導の原点に出会った。