同じジャーナリストの中にも待遇に「差別」がある

布施 この本もそうですし、森さんが監督されたドキュメンタリー映画『i-新聞記者』もそうだったんですけど、ジャーナリズム論として、本当に共感するところが多かったです。

お二人の意見に共感するんですが、実はお二人は立ち位置が違うじゃないですか。望月さんは東京新聞という大きなメディアにいて、森さんは個人でやられていて。僕もどちらかというと森さんに近い視点で見ちゃうんですけれども。

たとえば、映画の中で、望月さんが一番バトルしている官邸の記者会見を森さんは自分で撮りたい、できれば菅さんが控室から出てくる時から撮りたいと言うけれども、そもそも官邸の中に入ることすらできないんですよね。あの場面って、すごく共感するんですよ(笑)。

望月 やっぱりそうですか~。

日本が真の「民主主義」になるために必要なことは?_3
新聞記者・望月衣塑子氏(左)とジャーナリスト・布施祐仁氏(右)

布施 僕自身も森さん同様フリーランスで、記者クラブに所属していないから、防衛省に入れない。僕が情報公開制度を多用しているのも、防衛省や自衛隊に直接それでアクセスできないので、そうせざるを得ないという面もあります。

防衛省が記者クラブに配布している資料も、情報公開請求して、何カ月も待たないと手に入れることができません。

これはやっぱり差別されているわけじゃないですか。同じジャーナリストなのに、一方は中に入れるけれども、一方は中にも入れないというのは。

望月 そうですね。布施さんはこんなに本や記事を書いているのに。

布施 すごく差別をされているっていう感覚がある一方で、中に入れている望月さんも、質問をさせてもらえないとか、中で差別をされている、という、何重もの差別の構図があって。

しかも望月さんの場合は権力と戦うだけじゃなくて、映画の中で会社の上層部に電話しているシーンがありましたよね。「なんで私一人に戦わせるんだ」と。「会社として戦ってくださいよ」と。

官邸の前で電話で訴えていて、それはそれですごい大変だなあという風に思いました。

望月 そうなんですよね(苦笑)。う~ん、大変でした。

ただ、その分、守られている部分もありましたね。いろんな攻撃を四方八方から受けましたから。それでも会社がきちんと守ってくれたと感謝しています。

それから、原稿にしても、私は「なるべく客観中立でなければならない」と思いながらも、やっぱりいろいろ思い入れが強くあるテーマが多いので、なるべくいろんな声を入れなきゃいけないのですが、8割ぐらいこっち側の意見を書いているとかいうこともあって(苦笑)。そういう時は、やはりデスクやキャップの注文が入り、逆側の意見もきちんと盛り込んだりしています。

原稿を出す時は、この本もそうなんですけど、編集者とか外部の人の目が入るっていうのは、全然違います。独りよがりにならない、という良さはやはりあるのかなと感じます。

新聞社の中で仕事をして、やりづらい部分もありますが、でも一人で思った方向にひたすら突っ走っていたら、もっと早くいろんな形で権力者側に潰されていたかもしれないなと思います。

出したくても出せなかった記事もありますが、「本当にこれを潰された~」っていう決定的なものが何本もあったかっていうと、恨みに思うまでのものは無いな、と思っています。

悔しかった記憶は何度かありますが、それは説得できるだけの材料を持てていなかったという面もありました。

逆に、布施さんは一人でやりながらも、バランス感覚があるというか。自衛官の立場をものすごくよくわかっているし、政府が何かを隠し続けてきた状況をずっと見ていて。

それに対する怒りは、私なんかよりすごく強いと思うんですが、そういう中で、ワーッて急旋回していかないイメージがあるんです。

すごく冷静に見ている。公文書とか事実をベースに、客観的に、すごく淡々と事実を書くっていう。ある意味、新聞的な感じもするんです。

それって、どうしてそういうことができるんでしょう? 自分が逆だったら、もっと激しく自分の感情に揺れ動いちゃうかなって気がするんですけど。

布施 たぶん、そんなに自信が無いからなんじゃないですかね。

いろんな新しい事実に触れるたびに自分の考えも修正されていくので、現時点での自分の思いや意見を伝えることよりも、まず事実を提示してそこで一人ひとりに判断してもらいたいっていう思いが強いですね。

特に安全保障の分野は簡単に答えを出せない難しい問題が多いので、冷静に現実に向き合っていく、その中で悩みながら考え続けることが大事だと思っています。

望月 なるほどね。

布施 本ではクールに淡々と事実を書いているように感じるかもしれませんが、僕にとっては、その事実は単なる「情報」ではなく、人間が生きた軌跡なんですよね。

この30年間、1万人を超える自衛官が海外の「戦地」に派遣され、文字通り、命をかけて厳しい任務に当たってきたわけです。なかには、死を覚悟して人知れず涙を流した隊員もいました。

でも、政府の説明と辻褄を合わせるために、「安全だったんですよ」「非戦闘地域だったんですよ」と言われて、そういうことが無かったことにされてきたわけじゃないですか。

だから、あったことが無かったことにされて、その人たちが生きた証というか、「戦地」という厳しい現場で命がけで活動したことが、歴史に残らない、闇に葬り去られるみたいなことは、絶対にあってはならないという思いは強くありますね。