右派グラムシ主義と「再情報化」
極右政党が実務上の制約から直接発信の回路を探していたのと並行して、極右の思想家たちが構想していたのは、もっと長期的な文化戦略であった。
1960年代末から、アラン・ド・ブノワら新右翼の思想家は、イタリアのマルクス主義者グラムシの文化ヘゲモニー論(*2)から「政治的な勝利には文化的な勝利が先行しなければならない」というテーゼを導き出し、自陣営の戦略へと転用していた。
仮に右派が政権を握っていても、文化やメディアで支配的な左派的な価値観が残り続けるのであれば意味がない。政治的な勝利のためには、まず思想を生み出し、広め、人々の「常識」にまで入り込まなければならない――それが、「右派グラムシ主義」の発想であった。
こうした政党政治の「手前」の長期的な文化闘争は「メタ政治」と呼ばれる。「メタ政治」は、ただ選挙で投票を呼びかけるのではない。思想や語彙、文化的な実践を通じて、社会が何を問題とし、誰を脅威とみなし、どの言葉で社会を理解するかを変え、極右的世界観を「常識」にするのだ。
かつて国民戦線のナンバー2だったブルーノ・メグレは、相手を批判するために「階級闘争」という言葉を使った瞬間にマルクス主義の問題設定に入り込んでしまうと考え、代わりに「アイデンティティ」や「国民優先」という言葉を持ち込むことを提唱していた。彼らが目指すのは、相手と議論で闘うことではなく、議論の前提となる言葉や問題の枠組みそのものを変えることであった。
こうした極右の文化戦争のために用いられたのが「再情報化」という戦略であった。「再情報化」という言葉の中には、「主流メディアは真実を隠しており、自分たちこそが隠された事実を回復する」という認識が含まれている。
しかし、再情報化と言っても、彼らは独自の調査を行なって主流メディアとは別の情報を提供するわけではない。極右系サイトが実際に行っているのは、主流メディアの記事の中から、移民や犯罪に関する特定の事件だけを選び、一つの物語へ配置するという一連の作業をひたすら繰り返すことである。これによって極右に有利な情報の選別やフレーミングが、あたかも「検閲されていた事実の回復」かのように提示されるのである。
つまり、「再情報化」とは、すでにあるニュースを極右的世界観に合わせて選別し、読者の怒りや不信を日々更新する装置として機能させることである。これは同時に視聴者を特定の政治的主体として作り上げる作業でもある。
ニュースは、もはや世界の複雑さを理解させるものではなく、「やはり移民が問題だ」「やはりイスラムが脅威だ」「やはり左派と主流メディアは嘘をついている」という感覚を受け手に再認識させるものに過ぎないのだ。
*2 イタリアのマルクス主義者アントニオ・グラムシの「文化ヘゲモニー」論とは、政治が選挙や社会闘争だけでなく、人々の意識をめぐる文化・思想の領域でも争われるとする考え方である。グラムシは、ブルジョワジーの価値観が学校や教会、メディアを通じて社会の「常識」となり、資本主義を支えていると考え、労働者階級には経済闘争だけでなく、文化やイデオロギーをめぐる闘争も必要になるとした。右派・極右による受容では、この反資本主義的な階級闘争の文脈が切り落とされ、攻撃対象が「左派的・多文化主義的なイデオロギー」へと置き換えられている。












