「自分で自分にプリズン」娘から届いたメール

「最後に会ったのが2014年の3月23日だったんですよ。大阪でライブがあって、娘が来てくれて、ご飯を食べて、一泊して。翌日、駅前の横断歩道で娘を(元義母に)引き渡した。タクシーの窓からずっとこっちを見てる娘の顔が、ずっと焼きついてて。それで自分の中で決めたんです。よし、10年頑張ろうって」(高橋、以下同)

離婚をめぐる調停や裁判、財産分与の話し合いは長く続き、その10年のあいだ、娘と直接顔を合わせることができたのはたった一度きり。それも財産分与の交渉の席上、双方の弁護士が立ち会うかたちでの、わずか2時間ほどの再会だったという。

「モラハラ」と言われた当時の話を明かす高橋ジョージ(撮影/佐藤靖彦)
「モラハラ」と言われた当時の話を明かす高橋ジョージ(撮影/佐藤靖彦)
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「そもそもモラハラなんて言葉を知らなかったし、攻撃しているつもりはなかったけど、俺は多分、妻と娘を傷つけていたんだと思う。理由がどうであれ、子どもまで苦しんだのは事実だから」

それはもう受け止めるしかない。失意の中、高橋は、こんな決意をする。

「自分で自分にプリズン。刑務所の中に入っているのと同じように、そこに10年入ろうって決めたんです。それでも、自分は好きなものは食べられるし、好きなときに歌える、好きなところへ行くことだってできる。だから全然、ありがたい刑務所ではあるんですけどね。でも、娘には会えない」

そして迎えた2024年3月23日の朝、高橋のもとに、娘からメールが届いた。

「『高橋さん、ごぶさたしています。お元気ですか』みたいな感じで来たんですよ。最初は誰かのイタズラかと思ったくらい。でも読んでいくうちに、これは本人だとわかって。まさかぴったり10年後のこの日に来るとは思わなかった。俺、人生には台本があるんじゃないかって、本気で思いましたね」

連絡を取り合ったのち、娘は高橋のもとで一緒に暮らすことになった。その日取りに、娘自身がこだわった。

「『6月9日に行きたい』って娘が言うんです。『ロックの日だから』、と。もう俺、それだけでオッケーオッケー、さすが俺の娘だって(笑)。それで一緒に暮らし始めて、ちょうど2週間目に、娘は次の場所へと巣立っていきました」

わずか2週間の同居生活のなかで、高橋が忘れられない一言がある。

「『パパの言ってることは正しいんだけど、言い方がね』って言われたんです。周りのスタッフに話したら、みんな『それ、俺も前から思ってた』みたいな顔するんですよ(笑)」