「生」を感じられる快楽はやっぱり強い
――今回、朝倉未来選手との試合を終えて、改めて格闘技について考えたことはありますか。
青木真也(以下同) 格闘技って、表現方法としてめちゃくちゃ簡単なんですよね。
――簡単なんですか?
めちゃくちゃ簡単です。だって、所作みたいなものがいらないですもん。
――プロレスよりも?
もう比較にならないです。感情を出せばいいんですよ。「痛い」「泣ける」「怖い」とか、そのまま隠さず出せば伝わる。ドキュメンタリーだから、何かを作らなくていい。そのまま出せばいいから。
もちろん、格闘技をやること自体はつらいですよ。でも「表現する」という意味では、本当に楽なんです。感情を出すだけだから。そこに嘘偽りがなければいい。
――格闘技以上に「生きている」と感じられるものは、なかなかないのでは?
ないと思います。よく、死と一番近づいたときに「生きている感じがする」って言うじゃないですか。それを日本の現代社会で感じられる、一番ギリギリのところではあると思う。
「実際に死んだことねえだろ」と言われたらそうなんだけど、その範疇でいえば一番近い。そのギリギリのところで「生」を感じられるという快楽はやっぱり強いですよ。だから離れられないんです。
――今回の試合は、世間の注目度もかなり高かったですよね。
本当はよくないんだけど、わかりやすく注目も得られるし。今回なんて特にすごかったじゃないですか。わかりやすく追い込まれて、わかりやすくプレッシャーをかけられて、わかりやすく注目が来る。その感じに酔っ払えちゃう。
しかも自分の中では、「そんなに難しくない」と思っている。そりゃ、やっちゃいますよね。
――それだけ気持ちいいものなら、なおさら辞めづらい。
だからこそ「辞めなきゃな」と思うんです。格闘技の刺激と、表現としての格闘技の楽さが、もう自分に染み付いているから。
これを持ったままだと、ほかの表現をやっても自分の腕が上がらないと思うんですよ。一回、格闘技を離さないといけない。















