ロックン・ロールの未来を見た

ブルース・スプリングスティーンがエルヴィス・プレスリーのロックンロールと出会ったのは、少年時代にテレビで見た『エド・サリヴァン・ショー』を通してだった。

「9歳の頃だった。俺がテレビの前に座って、母親がエド・サリヴァンをかけると、エルヴィスが出てきた。確かあの頃からだったが、俺は母親の顔を見るとこう言ってた。『あんな風になりたいんだ』って‥‥」(※スプリングスティーンは後年、1956年にエルヴィスを見たと回想しており、当時は**6歳(間もなく7歳)**だった)

エルヴィスに憧れてギターを始めたブルースは、やがて地元ニュージャージーでバンド活動に参加して頭角を現し、マネージャーとなるマイク・アペルに見出された。そして1972年、プロデューサーだったジョン・ハモンドのオーディションを受けて認められる。

77歳になるブルース・スプリングスティーン 写真/Shutterstock
77歳になるブルース・スプリングスティーン 写真/Shutterstock
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ボブ・ディランを発見したハモンドは、後の取材で「この若者は絶対にある世代に受けるとすぐ直感できた」と回想している。生涯で三度感じたか感じないかの衝撃を受けたという。

そんなハモンドの推薦する無名の若者のデモテープを聴いて、10枚ものアルバムの長期契約にサインしたのはコロムビアの社長、伝説的ミュージックマンのクライヴ・デイヴィスだ。

2013年に来日したクライヴは、日本外国特派員協会で行った記者会見のなかで、「これまでの長いキャリアの中で最も印象に残った3人は?」という記者からの問いに対し、ジャニス・ジョプリンとホイットニー・ヒューストン、そしてブルース・スプリングスティーンの名を挙げた。

ブルースがアルバム『アズベリーパークからの挨拶(Greetings From Asbury Park,N.J.)』(1973年)でデビューしたのは、23歳のときだ。

ここから“誠実”という言葉が似合うアーティスト、“正直”なシンガー.ソングライター、そして“生粋”のロックンローラーのキャリアが始まった。

1974年にボストンで行われたライヴを観たローリング・ストーン誌のライター、ジョン・ランドゥが、その夜に初めて演奏された新曲『明日なき暴走(Born To Run)を聴いて、強い衝撃を受けたことから運命的な出会いが起こった。

ランドゥはリアル・ペーパー誌のコラムで、ロック史に残る有名な一節を書いて絶賛した。

ぼくはたいへんなものを見たのだ。ぼくは、ロックン・ロールの未来を見た。その名はブルース・スプリングスティーン。

それを読んだブルースは、希望が湧いたという。

「バンドと俺は当時週に50ドルしか稼いでいなかったが、あれを読んでまたやる気が出たんだ。とにかく俺の音楽が誰かの心に届いていたことがわかった」

ブルースはすぐにランドゥと親交を結ぶようになる。そして1975年には彼をプロデューサーとして迎えることで、アルバム『明日なき暴走(Born To Run)』が誕生し、そこから世界的な成功への道が開かれていく。

1975年8月25日に『明日なき暴走』がリリースされると、ビルボードのアルバムチャートで3位に入って初ヒットを記録。また、タイム誌とニューズウィーク誌の表紙を同時に飾るという快挙も成し遂げた。

少年時代の憧れだったエルヴィスが1977年に亡くなった時、ブルースはこんなふうに考えたという。

あれほど財を成した人間が、どうして最後にはあんな最悪の形で終わらなきゃなんないんだろうって。夢を勝ち取るために戦えるだけ、またそれを実現させるだけ、強い人間じゃなきゃ夢なんか何の意味もないってね。

ブルースにとってエルヴィスの生涯は、教訓と忠告になった。名声や知名度がどんな結果を引き起こすかしれないという恐怖感。それに打ち勝つためには、自分がしっかりしていないといけないことを学んだ。

だから、常に自分を知っていなければならない。そして、自分の夢を知っていなければ、前に進んでいくことは出来ないと。