最後に支えになるのは家族
──『絶遠の春』には懐かしい人も登場します。日本新報の元社長、新里も出てきましたが、日本新報を買収しようとして新里と対峙した外資系のメディア企業AMCにいた青井が、再びAMC日本代表に返り咲いています。
AMCも人材がいないんでしょう。一度辞めた者を呼び戻さざるを得ないんだから。
──青井がAMCに帰ってきて、やっていることがアクセス数重視のメディア運営です。
お金を儲けなければならないから、どうしたってそうなりますよね。彼がAMCで量産しているのは、アクセス数を稼ぐことを優先した、読者を見出しで引っかけるような記事でしょう。正直あまり褒められたやり方のメディアではありません。
青井にもこの十年で何かしらの変化があったはずで、おそらく大きな挫折があったんでしょう。『社長室の冬』の時の彼は、自分は記者だという感覚がすごく強かったと思うんです。日本新報を不本意なかたちで辞めて、AMCで古巣を買収する立場になったけれど、もっといいメディアにするという思いはあったはず。でもそれは十年前の話です。今や老後が見えているから、最後はお金をどうやって残すかみたいなことも考えざるを得ない。この十年間の変化というのは、南にもあったし、青井にもあったということです。
──一方、南と妻・優奈の関係も印象的でした。南はかなり彼女に頼っていて「メンターのようなものかもしれない」とまで言っています。
南は奥さんがいないとどうしようもない(笑)。奥さんが、日本新報が潰れる前に、比較的安定していると言われるテレビ局に籍を移していたことで、収入面で甘えられる部分もある。彼女自身がしっかりした大人の女性でもあるしね。同僚や仕事仲間がいたとしてもあくまで仕事の部分で協力してもらえる程度で、精神的な支えにはなかなかならないから、最後に支えになるのは家族なんだろうと思います。
『絶遠の春』が暗いか明るいかと言ったら明るい話ではないけれど、小説としての暗さはあまり出さないように意識してフラットに書きました。南はちゃんと美味しいものを食べているし、夫婦仲もいいですから。それはこの小説の救いですね。
──たしかにエッセイ集『弾丸メシ』も書かれている堂場さんらしく、「食」は『絶遠の春』の魅力の一つですね。
記者が取材して記事にするのは人の営み
──南が特ダネをとったエピソードも印象的でした。新聞はほぼ一斉に配達されるから特ダネがあれば注目を浴びました。しかしネット社会では公開が数時間早くても埋もれてしまう。
南の特ダネのネタ自体は大したことがなくて、アクセス数が急激に伸びるようなものではないんです。局が抱えていた情報をたまたま拾って出しましたよぐらいのレベル。自分たちでしっかり調査して報道した記事でなければ社会で注目されないですが、それをやるにはお金がかかります。警察のような役所はメディアを通じて発信する義務があるので取材に大してお金はかかりませんが、普通の取材は大変なんですよ。人が動かないとネタが出てきませんから。
──デジタル化やAIによって省力化されても、やっぱり人手とお金の問題は解決できないという構造も描かれています。
AIは現場では何もやってくれませんから。取材ロボットができれば話は別ですが、そう簡単には開発できないでしょう。記者が取材して記事にしているのは人間の営み。人が現場に行って、関わった人たちに聞いて回るしかないんです。
──堂場さんご自身が大手新聞社の記者を経験されていますが、ご自身の経験がこの小説に反映されている部分はありますか。
一切ありません。記者時代に経験したことは、会社の名刺があったからこそ経験できたことだから、ほかの小説も含めて書くことはないですね。会社のお金で取材して知ったことを、個人で書いている小説に使うのは違うんじゃないのかなと思っています。
──堂場さんが南を突き放して見ているのもご自身の経験と無関係だからなんですね。堂場さんから見て、十年ぶりの南はどうですか? 成長したと思うんですが。
南はこの業界に向いてなかったんですよ。純なところがあるので。たとえば、メディアの世界で生きるには、あらゆることを平然と乗り越えていくような図々しさが必要だと思うんです。良い悪いは別として。でも彼は細かいところを気にするところがあるし、人に利用されやすいところもある。だから、実はこのシリーズは、新聞社に向いてなかった男の長期間の奮闘記だと読んでもらってもいいかもしれません。
「ニュースとは何か」にいずれ立ち向かうかもしれません
──『絶遠の春』で四季を一巡した四部作となりました。このシリーズはこれで最後でしょうか。
さすがにこの続きの季節はないと思います。ただ、こうしてまだ話せるということは、このテーマについては書くべきことがまだ残っているということなんでしょうね。
──もし『絶遠の春』の先を書くなら、さっきおっしゃっていたような、「ニュースとは何か」がテーマになりそうですね。
いずれはその問題に立ち向かうことになるのかもしれません。ニュースをテーマに書くとしたら、いろいろなやり方があると思います。たとえばニュースの歴史をたどってもいいかもしれない。十九世紀半ばにロンドンで設立されたロイターの話なんか面白いですよ。
ただ、これから十年、二十年後に『絶遠の春』の続編として「ニュースとは何か」を書くとすると、ちょっと気が重いですね。これからどんどん状況が変わっていくと思うし。
──今とはまったく違う世界になっているかもしれないですね。
本当に何も予測できません。ネットでも今みたいな形のSNSがあるかどうかもわからないですから。ただ、ニュースの本質みたいなものは変わってないような気もする─という議論をうまく小説に落とし込めるかどうかというのが、この次を書くとしたら課題になるのかなという気がしますね。
──大手新聞の終焉、というショッキングなシーンから始まった『絶遠の春』ですが、読者がどう受け止めるか感想を聞いてみたいですね。
結論が出ない話なので、いろいろな意見が出てくると思います。特に若い人たちがどう読んでくれるかには興味がありますね。我々のように新聞になじんでいる世代は「新聞がなくなるなんて悲しいね」という話になるかもしれないけれど、きっと若い人は違う感想を持つでしょう。二十年後、三十年後にニュースがどうなっているのかを考える時、新聞業界やメディアのことをあまり知らない若者からのほうが面白いアイデアが出てくるかもしれません。若い人にこの作品を読んでもらって、これから先のメディアのこと、ニュースのことをいろいろ考えてもらえたら嬉しいですね。












