日本の恥ずかしいジェンダーギャップ指数
多くの諸外国でも、1980(昭和55)年頃には日本とあまり変わらない状況だったにもかかわらず、他国では女性議員を増やす努力がされることで、2022(令和4)年時点では大幅に女性議員の割合が増えています。それに対し、日本ではその割合が低迷していることは、その推移を見ればわかるでしょう(図3参照)。
当選者を増やすためには候補者を増やす必要があります。政府は2025(令和7)年までに女性候補者の割を35%にするという目標を立てていましたが、2024(令和6)年の選挙においては23.36%だったので、まだその目標は達成されていません(ただし2026年総選挙では、候補者のうち女性が占める比率は24.4%で、過去最高でした)。
また、今でもさまざまなレベルの地方議会においては、女性議員の割合がかなり低い状況が続いています。2024(令和6)年12月31日における統計では、都道府県議会の女性議員比率は全体で14.6%であり、女性議員がひとりもいない町村議会は2割以上に及んでいます。つまりそうした町村においては、女性の払った税金も使いながら、男性だけで私たちの生活に関わる全部の政策が決められているということになります。
このように女性議員が少ない状況を改善するために、2018(平成30)年に「政治分野における男女共同参画の推進に関する法律」が作られました。
そこでは基本原則として、各選挙において、男女の候補者数ができる限り均等となることを目指すと書かれています。しかし、「できる限り」ということは、できなければそれっきり、ということにもなりますし、その実現を事実上担うべき政党の責務については、候補者の数の目標を定めるなどのことを、自主的に行なうよう定めてあるだけで、罰則などはありません。
これではなかなか事態が動くことは難しいのではないかと思われます。
世界経済フォーラムが発表する「ジェンダー・ギャップ指数」において、日本はいつも政治や経済の分野で恥ずかしいほど低い順位なのですが、その背景にはここで述べてきたような歴史があったといえるでしょう。
一方、政治や経済の分野に比べて、人間生活において基本的に必要な教育や健康という項目については男女が平等に扱われていることがわかるのですが、このことは、家庭においては、分業体制がありながら男女の関係が平等であることを示しているのです。
このように日本社会では、家族・経済・政治という人間活動のすべての領域において、性別分業という構造が作られ、特に社会的領域において女性の活動を縛ってきたのだといえましょう。
文/中村敏子












