女性は政策決定に影響を与えられない
ところが、女性議員の数がそのまま増加することはありませんでした。衆議院を見てみると、2回目の選挙からその数は減少し、そうした状態がしばらく続きました。
これを見ることで、政治の領域においても性別分業が進んだことがわかるでしょう。こうして政治的決定に女性が関わらない構造ができあがったのです。
このような状況が少しずつ変化していくことになったのは、平成に入った1990年代からです(図1参照)。
このきっかけとなったのは、土井たか子が社会党の党首となって、1989(平成1)年の参議院議員選挙において女性の候補を多く擁立し、女性の議員が多数誕生したことです。
これは「マドンナ旋風」と呼ばれました(図2参照)。
この影響により、翌年の衆議院議員選挙でも女性の候補者、当選者が増加し、そこから増加傾向が続くことになりました。それでも戦後第1回目の選挙の当選者数を初めて上回ったのは、なんと2005(平成17)年の衆議院議員選挙においてでした。その結果女性議員は43名となりましたが、それでも全議員の10%に満たない数でした。
これまで最も多くの女性議員が誕生したのは、2024(令和6)年の総選挙においてです。そのときには73名の女性が当選しました。それでも全議員465名のうち15.7%で、政府目標の30%には遠く及んでいません(本書執筆中の2026年2月に総選挙が行なわれました。その結果女性の当選者数は68人でしたので、前回の2024年より減り、全議員の14.6%となります)。
少数派が、ある集団の中で一定の影響を与えるためには、その集団の30%以上の比率を占める必要がある(クリティカル・マス critical mass)といわれていますが、まだ女性は政策決定に影響を与えるほどの多数を占めていないのです。












