不滅のプロテスト・ソングとして

マルタがビートルズの「ヘイ・ジュード」をチェコ語でカヴァーすることにしたのは、アルバム『ソング・アンド・バラード』の制作の準備を進めていた時だ。アメリカでは「ヘイ・ジュード」がその年の9月28日から、9週連続でシングルチャート1位の大ヒットになっていた。

その美しくも力強いバラードを1曲目に入れて、マルタはチェコ国民に勇気と希望を与えたいと思ったという。

自由のシンボルとして「ジュード」という主人公が歌われたチェコの「ヘイ・ジュード」は、1年後の1969年10月にレコード化されて大ヒットした。だが、マルタの歌が持つ影響力の大きさを知っていた当局は、マルタに出頭命令を下して「ヘイ・ジュード」の歌詞についての尋問を行い、「二千語宣言」への署名についても撤回を迫った。

それに屈しなかったことから、マルタは1970年1月、あらゆる表現活動を禁止されて音楽界から追放された。それまでに出したすべてのレコードは発売禁止、人々が所持することも聴くことも禁じられて没収になった。

しかし、マルタの「ヘイ・ジュード」は不滅のプロテスト・ソングとして、チェコの人々に歌い継がれていったのだ。長きにわたった抑圧の歴史を経てきたチェコでは、民族の知恵として受け継がれた言葉による抵抗という伝統があったからだという。

再び人前にマルタが登場したのは1989年、民主革命によって共産党政権が崩壊した後のことだ。非暴力のもとで穏やかに達成されたことで、「ビロード革命」と称された運動の原動力となったのは、「ヘイ・ジュード」に象徴される文化的方法だったといわれる。

ザ・ビートルズ「Hey Jude」のレコード 写真/Shutterstock
ザ・ビートルズ「Hey Jude」のレコード 写真/Shutterstock
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自由への希求を歌と音楽に託して、歌手生命が絶たれることをわかった上で、マルタの自ら選んだ生き方は賞賛された。時を同じくしてベラ・チャスラフスカもまた、ビロード革命によって名誉を回復して体操界に復帰し、チェコ・オリンピック委員会会長などを務めてスポーツ発展に尽力していく。

「正常化時代、チェコ国内には人生を犠牲にした無数の人々がいた。(中略) 当局は、抵抗者のなかでもシンボル的な人々を目の敵にしていじめ抜いた。けれども屈しなかったものがいた。チャスラフスカしかり、歌手のマルタ・クビショヴァーしかりです」(チェコの上院議員ペトル・ピッハルト)

文/TAP the POP、佐藤剛

参考
https://www.tapthepop.net/extra/76457
https://www.tapthepop.net/song/19650