では法務省はどうすればよかったのか
タイアップそのものを最初から諦める必要はなかっただろう。
むしろ、『ラヴ上等』のような若者にも届きやすいコンテンツをきっかけに、更生保護を知ってもらおうという発想には可能性がある。
ただし、「番組を宣伝すること」と「番組を入り口に更生について考えてもらうこと」を分けるべきだった。
たとえば出演者を大きく配置して「更生上等」と掲げるのではなく、番組配信に合わせて、保護司や更生保護施設、協力雇用主、社会復帰した当事者、そして犯罪被害者支援に携わる人への取材コンテンツを法務省側で制作する方法もあった。
「人は変われる」というメッセージだけではなく、
「変わるとは何なのか」
「償うことと再出発することはどう両立するのか」
「被害を受けた人への配慮をどう考えるのか」
まで提示する。
それなら『ラヴ上等』を単なる広告塔にするのではなく、社会が更生を考える入口として利用できたはずだ。
さらに公的機関が犯罪や非行歴を扱う作品と組むのであれば、事前審査には「出演者が更生しているか」だけでなく、被害者の視点から見たときに、加害行為が武勇伝やキャラクターとして消費されていないかという項目が不可欠だろう。
今回、法務省がタイアップを取りやめたことで一件落着とするのは簡単だ。
しかし、それでは「炎上したからやめた」という教訓しか残らない。
本当に必要なのは、不良や犯罪歴を持つ人を公共空間から排除することではない。一方で、過去の加害を刺激的な物語として消費することでもない。
人は変われる。
その理念を社会に伝えることは重要だ。
だからこそ国が発信するのであれば、「変わった人を持ち上げる」だけでは足りない。過去に何があり、その責任とどう向き合い、社会がどのように再出発を支えるのか。そして、その過程で被害を受けた人の存在を決して消さない。
そこまで含めて初めて「更生保護」のPRになるのではないだろうか。
文/集英社オンライン編集部













