前回より続く

日本が敗退した瞬間、サッカーW杯報道が半減……熱狂の中心は結局「にわか勢」?

毎日毎日ラジオからFIFAワールドカップ情報が強制的に耳に飛び込んでくることに苦痛を感じていたら、日本が敗退した瞬間に情報量半減。競技としてのサッカーを愛する気持ちならまだしも理解可能だが、結局この熱狂の中心ってやっぱり競技ではなくサムライブルーが勝つか勝たないかの「にわか勢」なの? 日本だけでなく多くの参加国も熱狂を支えるのはにわか勢だとは聞くが、であれば応援の対象は「国家」か? なおさらその熱狂の心理ってマジで心の底から分からないし、気持ち悪い。などと、まさに本連載の初心に返らされた7月だった。

サッカーW杯の熱狂の心理ってマジで心の底から分からないし、気持ち悪い。などと、まさに本連載の初心に返らされた7月だった(写真/PIXTA)
サッカーW杯の熱狂の心理ってマジで心の底から分からないし、気持ち悪い。などと、まさに本連載の初心に返らされた7月だった(写真/PIXTA)
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前回は関連書籍などの情報を頼りに、「流行りが理解できない」ことが脳の情報処理の特性(発達特性)とどのように関連付けて語られることが多いか、その解釈と僕自身の比較を行ったが、今回はその考察について、実際に発達特性があり診断済の当事者が、どのように感じどのように解釈するのか、聞き取りを展開しよう。

ということで協力をお願いするのは、発達特性がある当事者であり、かつ特性がある多くの当事者を取材してきた作家の姫野桂さんと、姫野さんと新刊『発達障害・グレーゾーンかもしれない人のためのお金の困った!を解決する本』(ディスカヴァー21)を共著・上梓した文筆業の雁屋優さんだ。奇しくも、おふたりとも当事者にして、「推しあり勢」だが、新刊の中でも同じ障害の当事者とされるおふたりの中での感じ方や特性の違いが非常に興味深かった。果たしてどんなコメントが?

発達特性+経験=形成された価値観

さて、まずおふたり共通で即答だったのは、発達特性がある人が「自身がこだわる特定分野においては一般人より強い熱狂を示したり、共通テーマで熱狂する者同士の中で強い共感と連帯を示すケースが多い」と言及されていることについて、「まさにコアな推し属性そのもの!」という見解だ。

ちなみに姫野氏はバンギャであり続けていることをアイデンティティと公言しているし、「布教」についても他者との共感のツールとして理解できるタイプで、数年前のタピオカブームなどでも「とりあえず試してみて楽しさ面白さを周囲と共有する」ができたのだとか。一方雁屋氏も推し在り勢で(推しの対象が何かは伏せたいご意向)、推しのあることによって人生の生き死にに関わるような苦しさから救われた体験があるといったことも伺っている。

だが今回の課題は、流行りに「乗れない勢」もまた背後に発達特性と関連があるのではないかについて!

まず「流行りに乗れる人々の心理そのものが理解できない」ことと発達特性との関わりについて、前回資料からまとめた解釈について問うと、雁屋氏は「総合的には割と合っている」という評価。ご自身との比較でも割と当てはまるが、「特性も含めた多因子が原因か?」との言及だ。

姫野氏もおおむね解釈に違和感を覚えないとする一方で、自身にはそもそも同調圧力への関心・周囲と同じことに安心感を覚える心理はあり、けれど同時に同調することへの居心地悪さを感じるという葛藤があったという。さらに周囲に合わせすぎることで人生の選択を大きく踏み外した経験(過去の著作にもエピソード多数)を重ねた結果、突き抜けて我が道(バンギャ道=推し道)を独走するようになったという、生来の特性だけではない「特性がありつつ生きてきたプロセス」に言及してくれた。

ハッ!となった。当たり前のことだが、失念していたことに気づかされたからだ。

特性がある当事者も、その特性だけでパーソナリティは決定しない。「単に特性だけでなく、それを含めた多因子」(雁屋)、「その特性がありつつ生きてきた経験」(姫野)が、成人期の趣向や行動を決定していく。人の価値観とは、その人生を反映したものである。当たり前のことながら、見失いがちなポイントだ。

一方で、僕自身の感じ方と資料の比較、そして自らの中にある「推せない乗れない」の最大の理由とした心理的リアクタンスの強さについてはどうかというと、
「鈴木さんの状況に発達特性に近いものは感じるが、少し異なっている。観点ごとに濃淡があり総合してものすごく強いというわけでもないようにも見え、〝スタンスの要素〟が強い話に思える。特性と思想の混合、思想優勢くらいだろうか」(雁屋)
「ASD(自閉スペクトラム症)の人は論理的思考で何につけても理由を知りたがります。なので、流行のものにきちんとした、自分でも納得できる理由がないと流行には乗れないのかなと。その意味では鈴木さんは特性ありだと思う。ただ資料の解釈を含め、発達特性が少なからずあるのと〝環境によるもの〟が混ざっている気がします。発達特性は人それぞれで、発達特性の結果親(周囲)にどんなことを言われてきたのかによって違ってくる」(姫野)
との評価。

ちなみに姫野氏の場合はいわゆる「親制限」(いわゆるテレビや漫画禁止の家的な意味で)のバイアスが強く、子ども時代は流行りもの全般やオタカルチャーなどを親から規制され、反動で独立後には一度流行にどっぷりしたのちに我が道独走へ。

振り返れば僕自身には最も強い特性として心理的リアクタンスの強さがあるのは確定だとは思うが、幼少期に親から(特に父親から)「流行りものには絶対乗るな!」といった姫野氏同様の制限をかけられていながら、その自由制限について本来起きたはずのリアクタンスは全く起きず、雁屋氏の指摘する「思想・スタンス」(安易な流行文化への拒絶)は、かなり小さなころから確立していたように思う。なぜだろう?

ともあれ、「何となく“みんな”の心理が理解できない」という言葉面から脳の情報処理的な特性ではないかとショートカットした推論が立ったものの、おふたり共通の指摘の通り、やはり特性+経験=形成された価値観。推し勢も推ししんどい勢も、「イコール発達特性」ではなく、濃淡含めた特性と経験ゆえに形成されたものと結論付けるのが良いのだろうか?