発達特性当事者が「同調圧力に過剰反応する」のは「あるあるの通過点」

なお、おふたりへの取材後、念押しに著者の知己で発達特性の診断がある40~50代の3名に対し、連載前回と今回の解釈を読んでもらったうえでのコメントを求めると、なんと姫野雁屋両氏と同じく、全員が「自分は推しがある勢だ」とのこと(彼らに強い推し感情があることは全く知らなかった)。
ここで焦ってもう2名コメントを求めると、そのおふたりも「推し在り勢です」と返ってきて、思わずギャフンとなってしまった。

さらに彼ら合計5名の雑感をまとめると、まず大前提として、「そもそも推し活的なものは発達特性のある人に特徴的な活動だと感じている」というのだ。これは困った。

そもそも推し活的なものは発達特性のある人に特徴的な活動、なのか⁉(写真/PIXTA)
そもそも推し活的なものは発達特性のある人に特徴的な活動、なのか⁉(写真/PIXTA)
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なお、5名のコメントを統合すると、単に発達特性=推し在り勢になりがちと言っても、そこには大きく分けて、
1:周囲に馴染めない孤立感から、自分では良いと思わないものでも良いと感じるふりをする「過剰適応の青春期」を経て、ようやく自分自身で本当に良いと思えるものに出会うことができたからこそ、激しく推す!
2:特性ゆえに、周囲に同調圧力があることや孤立していることにすら気づかず、自身のハマるものに徹底的にハマって推す!
があるという雑感が共通していた。

なお、自分が周囲のみんなとどうにも違うといったコンプレックスを持っているからこそ、無理に流行に乗る(同調圧力に過剰反応する=姫野氏の我が道爆走以前のプロセス)についても、特性がありながら生きてきた当事者に「あるあるの通過点だよねえ」とのこと。

ちなみに実は本連載の担当編集者はASDグレーゾーン診断済なのだが、
「わたしも子ども時代に共感性が欠けてたって自覚はあったけど、興味はなくとも広く浅く知識として覚えていくってことはできたので、本心では“(流行りものの)何が良いのか全然わかんない”と思いつつも人間関係でつまづいたことはないですね。じゃなきゃ編集者なんて仕事続けられてないと思います。共感性も、人生経験を積む→訓練することである程度後天的に身に着けられたような気も」
なんて指摘をもらったりしてた。

やはり姫野雁屋両氏指摘と同様に価値観は特性のみで形成されるものではなく、その特性がありつつ生きてきた人生によって形成されるものだ(結果として発達特性のある当事者は推し在り勢になることが多い)というのが追加コメントを願った5人共通の着地点のようだ。

「推し社会しんどい」は、グレーゾーンゆえハマった「スキマの苦しみ」?

では他方、しつこいようだが、僕のように「同調圧力に従いたくても従えない、従うフリをすることすら耐えられない」といったような心理的リアクタンスの強さもまた特性なのではないか? という問いはどうかというと、こちらには少々辛辣にも感じるコメントが返ってきた。

「鈴木さんは恵まれている感じ」(回答者A)
恵まれているとは何か!?

「わかる。鈴木さんは、言ったら前提として孤立が足りない」(回答者B)
いや、孤立がしんどかったからこんな連載やってるんですが……。

「そもそも障害で診断を受けているってことは、強い特性ゆえに学校や社会生活に障害レベルで馴染めなかったって過去があるということ。孤立も耐えられないぐらい苦しいレベルだから、周囲の同調圧力に過剰に適応してストレス溜めて、バーンとなっちゃう(二次障害化してしまう)わけで」(回答者C)

「もしくは自分がそうした同調圧力に無関心すぎて周囲と軋轢を起こしていることにすら気づかないで孤立しているか、孤立していることにすら気づかないってレベルの特性?」(回答者Ð)」

総論、「そういった極端なところに振れるからこそ障害なのだと思う」

マジか……。確かにこれまでの連載でも軽く触れたように、僕がこんな面倒臭い価値観でありつつ、そこまで致命的な孤立(障害化)に陥らずに生きて来れてしまっているのも事実だ。

とすればこの「流行りに乗れない」「推し社会しんどい」は、うっすらと特性はあるが障害化まではしないグレーゾーンゆえハマった「スキマの苦しみ」ということか?

発達特性というマイノリティがある人々のさらなるマイノリティ属性なのかと掘り下げてみたら、一層孤独になってきてしまった。

ということで、二回に渡って掘り下げた、「推し無き勢」の背景を発達特性との関連性については、ずいぶんこんがらがった着地点になってしまったが、少なくとも「流行りに乗れない=集団の空気が読めない=発達特性?」という視点は少々拙速か。せっかくなので、今後もっと母数を上げて発達特性のある人々の当時者会などでの意見を募ってみたり、専門家へのコメントも求めてみたくは思うが、むしろ特性のある人々にとっては推しの有ることがポジティブに作用している面の方が強く見えてきた気がする。
この推し無き苦しさは、想定していたよりもさらにマイノリティ中のマイノリティ、もはや共感を得ることは不可能レベルなのだろうか?

次回、周囲に共感できない孤独を抱えつつも心理的なリアクタンスの強さが優位に働く(結果、孤立したり人生の様々なシーンで不利益を被る)僕のようなケースは、単に特性としてリアクタンスが突出して尖っているに過ぎないのか、今回コメントを寄せてくれた方々の指摘するように経験や環境によって後天的に形成・強化されたものならば、どんな体験がそれにあたるのか。もう一歩泥沼に踏み込んでみようと思う。

文/鈴木大介 
※「よみタイ」2026年7月25日配信記事