「安全保障」や「対米闘争」という亡霊に怯え実体経済を無視
「経済産業研究所コンサルティングフェローの呉軍華氏は近時、中国経済の『ソ連化』のリスクに警鐘を鳴らしてきた。『ソ連化』とは、社会主義国が戦略産業に過大投資し、全体的な経済均衡を歪めることを指す。
実際に習は、国の安全保障を懸念するあまり、長期的な対米闘争に有用と見られる戦略産業に国家資源を注入し、民間企業より国有企業を優先してきた」
この指摘が示す通り、習近平は「安全保障」や「対米闘争」という亡霊に怯え、国民が日々の糧を得るための「実体経済」を軽視し続けた。
半導体、宇宙開発、AIといった、国家の威信を飾り、戦争に転用可能な「見栄えの良い産業」に巨額の国家予算を注ぎ込む一方で、多くの国民が働くサービス業や伝統的な製造業、そして民間の活力を冷遇したのである。
あたかも、エンジンが故障して煙を上げているにもかかわらず、ボディの塗装や飾りのウイングばかりに執心する愚かなドライバーのようだ。
資源配分を歪められた経済は、当然の帰結として壊死していく。国民の財布は干上がり、消費は冷え込み、デフレの螺旋階段を転げ落ちることになったのは必然である。
習近平の掲げた「強国への夢」は脆くも敗北
皮肉なことに、中国共産党内部からも、この破滅的な路線に対する突き上げが起きているようだ。2024年秋に開催された「四中全会」において、習近平路線は事実上の修正を余儀なくされた。
発表されたコミュニケ(公式文書)からは、それまで習近平が声高に叫んでいた「安全保障」のトーンが弱まり、代わりに「実体経済」や「消費」を重視する文言が盛り込まれたのだ。
これは、経済の実務を知るテクノクラートたちが、イデオロギー優先の暴走に対し、崖っぷちでブレーキをかけた証左といえるだろう。習近平の掲げた「強国への夢」は、冷厳な経済の現実の前に、脆くも敗北したのである。
『外交』Vol.94における鈴木隆・大東文化大学教授と川島真・東京大学教授の対談記事「習近平体制 個人独裁への政治力学」は、極めて示唆に富む分析を提示している。
「(習近平は)『辞めるに辞められない』のが実情でしょう。党であれ軍であれ、習氏に権限が集中しすぎて、彼自身が権力のクモの糸にからめとられているような状況に見えます。
彼の権力を引き継げるほど信頼できる人物が簡単に現れるとも思えず、権力者としての長期政権への野心は別にして、自身の出処進退も含めて権力の慣性または惰性の結果、4期目に向かう流れが構造的にできつつあると思います」













