悪癖をあえて直さない理由
――相撲の指導にはどんな特徴があるのでしょう。
大の里は、中学進学と同時に〈かにや旅館〉に入り、能生中学に進学しました。地元の石川県でも小学生の頃から有望選手として知られていましたが、中学時代はなかなか目立った成績を残せなかった。
地元では「ほれみたことか」と地元に残らなかった大の里や、哲也さんの指導を非難する声もあった。
中学時代の大の里には、ある癖があったそうです。指導者はみな「あの癖は直した方がいい」と口を揃えた。日本体育大で相撲に打ち込んだ哲也さんも、それは百も承知だった。しかしあえて指導はしなかった。
その理由を哲也さん自身がこう語っていました。
「ああしろ、こうしろと言っても本当の力になりません。本人が気づいて、変える日が来ればいい。その方が本物になりますから」
ふつうの指導者なら、すぐに結果がほしいから助言するはずです。でもそれでは、根治療法ではなく、対症療法になってしまう。
単にその癖を矯正するのではなく、癖の元を基本的な反復練習やトレーニングを繰り返して直していく。ただし、直るまでは時間がかかります。
なかには、哲也さんを大の里の才能を伸ばしきれない、能力がない指導者だと評した専門家もいたかもしれません。そうした短期的な評価を気にせずに、時間をかけてじっくりと1人1人の力士と向き合う。誰でもできる指導ではありません。
哲也さんが〈かにや旅館〉で力士の指導をはじめて、今年で20年になります。その成果は、大の里をはじめとする力士の活躍だけではありません。
哲也さんは能生町の行事などに相撲部員を積極的にかかわらせてきました。能生町の道の駅では相撲部員たちが授業の一環で自ら開発した人気のレトルトカレー「ごっつぁんカレー」を販売する姿を見ることができます。大の里たちも高校時代に呼び込みをしていたんです。
――地域密着なんですね。
だから、みんな能生の人たちに愛されているんですよ。ほとんどが、相撲が強くなりたくて、ほかの県や地域から能生にきた子どもたちです。それなのに、能生の人たちは大の里や白熊を郷土の誇りとして応援する。
〈かにや旅館〉出身のOBたちも能生に愛着という言葉以上の思いを持っています。大学を卒業したOBたちも能生に戻り、いろいろな形で〈かにや旅館〉を支えている。
高校生や中学生の指導はもちろんNPOを立ち上げ、子どもに相撲を教えるOBもいます。
いま、糸魚川市で壮大な構想が立ち上がっています。観戦スタンド付きの相撲アリーナ建設が計画されているだけではありません。大学病院や温泉リハビリ施設と連携し、巡業を終えた大相撲の力士たちが身体と心を休められる相撲の町にしようというアイディアも出ています。
それは、〈かにや旅館〉が――もっと言えば、相撲の魅力と田海さん夫妻の情熱が、高齢化が進む地域に活力を与えている成果だと思います。
取材・文/山川徹