なぜ尹錫悦氏は戒厳令を宣布したのか
韓国社会がこんな光景になるのはわかりきっていた。なぜ尹錫悦氏はこうした談話発表に踏み切ったのであろうか。
戒厳令に関して、憲法には「国会が在籍議員過半数の賛成で戒厳の解除を要求したときには、大統領はこれを解除しなければならない」(第77条5項)という条項がある。実際に、野党が3分の2近くを占める国会では、4日未明に戒厳令解除を大統領へ要求する法案を可決した。大統領も4時27分にこれを受け入れて、戒厳令を解除するに至った。
検察総長出身の尹錫悦氏がこうした仕組みを知らないわけがない。
まず考えられることは、尹錫悦氏が正常な判断能力を失っている可能性がある点だ。
国会は、定数300議席のうち、170議席を占める「巨大野党」である共に民主党が牛耳って、「野党のやりたい放題」の状態が続いてきた。大統領中心制ではあっても、これでは法案の通過もままならない「二重権力」のような構造であって、相当なストレスを感じているであろう。
これまで大統領が任命した閣僚が22名も弾劾の訴追を発議されるなど、「世界のどの国にも類例がないだけでなく、我が国が建国以降に全く類例がなかった状況」(大統領談話)なのは事実であって、政権運営がにっちもさっちもいかないのだ。
しかも、大統領夫人の金建希氏をめぐる数々のスキャンダル(株価操作、政治ブローカーとの結託、違法性のある高級バッグ授受など)をめぐって、野党やメディアから追及を受けている。尹錫悦氏は夫人をかばって、その追及を「政治攻勢」とかわしているが、「もはや失うものはない」と自暴自棄になっているきらいすらある。
他方、大統領制だからこそ、尹錫悦氏はこのような談話を発表できたという側面もある。韓国の著名な政治学者は、次のように評している。
「大統領こそが国家経営を左右し、『選出された皇帝』なのである。過去の権威主義時代に比べて恣意性がかなり減ってきたものの、それでも議院内閣制とは雲泥の差である」(金浩鎮『韓国歴代大統領とリーダーシップ』柘植書房新社、2007年)。
尹錫悦氏が大統領になった早々、筆者が「選出された皇帝」を感じたのは、大統領執務室の移転を実施した時だ。文在寅政権までの大統領官邸(青瓦台)は、ソウル中心部の古宮・景福宮の背後に御殿のようにそびえていた。
国民との距離を縮めて、実務を重視する立場から、尹錫悦氏は「脱青瓦台」を大統領選の公約にしていた。2022年3月10日の選挙で大統領に当選すると、青瓦台から6キロ離れた龍山地区へ移す計画を同20日に発表し、5月10日の政権発足には、移転させてしまった。前政権との差別化を意識して急いだのだろう。
もし、日本で首相官邸を移すとなったら、2か月で実現させるのはまず無理だ。
尹錫悦氏が談話発表の1時間程度前、国務会議(閣議)を招集し、本件を審議したところ、韓悳洙国務総理をはじめとする閣僚の大半が反対したという(『朝鮮日報』電子版12月4日付)。
それでも、談話発表を強行したのは、国務会議の同意なしに、大統領権限だけでできるからである。たしかに、憲法では「大統領は、戦時・事変又はこれに準ずる国家非常事態において兵力により軍事上の必要に応じ、又は公共の安寧・秩序を維持する必要があるときには法律の定めるところにより戒厳を宣布することができる」(第77条1項)となっており、会議を組織して決定する仕組みは書かれていない。
尹錫悦氏の国政運営スタイルは、そもそも変化球は使わずに、直球ばかりだ。しかも、制度的には、大統領がひとりで行っても構わない。だからこそ、こんな事態を招いたのではないだろうか。