自民党にも認められていた石井紘基

紀藤 石井さんは国会議員として不世出なんですよね。私はこれまでに多くの議員を見てきて、今でもたくさんの議員と懇意にしていますが、その中で彼は何が違うのかと言われると、「運動家でもあり、研究者でもあり、政治家でもあった」というところなのです。

国会議員の中で、運動家であり政治家という人は、結構いるんです。だけど、研究者ではない。研究者であり政治家という人も結構いる。だけど、運動家ではない。だから、運動家であり研究者であり政治家である、そんな人は石井さんの他にはいないんです。

そんな三位一体の人物が亡くなったことは、あまりにも日本にとって大きな損失でした。たとえば、今の立憲民主党、当時は民主党と言われていた政党と、それから自民党。どちらも石井紘基さんの言うことには、一目置いていたんですよね。だって、あまりにも事実関係がきっちりした質問をするわけです。これは彼の「研究者」としての側面ですよね。

だから、官僚も政治家も答えられないわけだけど、石井さんは国会で、「ここまで調べるのか」というような質問をする。そうすると、一目置くしかなくなる。自民党の議員から見ても「敵ながらあっぱれ」となるし、民主党でも派閥をまたいで、「石井さんの話は聞いてみる必要がある」と議論を闘わせることができた。

またそういう彼だからこそ、ただ研究に走るのではなくて、地に足がついた、オウムとか統一教会の問題にも目が行ったと思うのです。たとえば石井さんが構想していた「国民会計検査院」にしても、会計の問題というのは、一種抽象的な議論なんですよね。だけども、現場の議論があって初めて抽象化できるわけです。彼が一人で各省庁から集めた資料があったから、それを積み上げて、「国家予算の不透明な流れ」という仮説を立てることができた。さっき安冨さんもそこがすごいと言っていましたけど、そういうことができる理由は、庶民感覚とか現場感覚がわかっていたからとしか言いようがない。

現場感覚とか庶民感覚というのは、まさに「自分の足で稼ぐ」ということなんですよね。だから、統一教会にしてもオウム真理教についても、自分で調べに行くんです。もちろんその前提として正義感があるから、「被害者のためにやってあげないといけない」とか、「自分がやらないといけない」ということで、被害者救済に奔走していた。これは「政治家」としての本分です。

オウム真理教については、ロシアでも調査していて殺された人がいるぐらいで、当時のロシアで追及すれば追及するほど危なくなる、それだけロシアの政権に食い込んでいた。石井さんはソ連に留学していて、ロシアの事情にも通じていましたから、そういう危険性をわかっていて、オウム問題に命がけで取り組んでいた。人々の前面に立てる「運動家」でもあり、デモ行進の先頭に立てる人なんです。そういう運動家であり政治家であり研究者という人は、なかなか出ないですよね。

1996年、国政調査権を駆使し多くの現場に足を運んだ石井紘基氏(左から3人め)
1996年、国政調査権を駆使し多くの現場に足を運んだ石井紘基氏(左から3人め)