記事読む前に動画広告を見させられる
ただ、それにしても最近は広告が増えている気がする。とくに広告代理店経由のネットワーク広告が。
実はこれまでもウェブ広告がじわじわと増えてきてはいた。画面全体を広告が覆う「フルスクリーン広告」も以前より導入するメディアが増えつつあったのがその例だ。
ただし、ウェブ広告が読者にとって「明確なストレス」として表れてきた転換点をひとつ挙げるとすると、2023年後半あたりからだろう。
たとえばこんな経験はないだろうか。ウェブメディアの記事を読んでいたら、「続きを読みたいなら、これから15秒間広告を見てください」と強制的に広告動画などの視聴を強いられる経験だ。これをリワード広告という。
15秒間の苦痛にたえると「リワード」(報い)をもらえるということだ。これが強烈なストレスを読者に与えているようだ。
Xを見ていてもリワード広告を目にした読者がサイト名を挙げ「もうここのニュースは絶対読まない」と書き込んでいるのを度々見かける。
ウェブメディアの編集者としては、たしかに読みにくいと同調する半面、「タダより高いものはないってことだよ」なんてイジわるを言いたくならないでもない。
かという私もオリジナルサイトの広告があまりに多くて煩わしい時は、敢えて配信先で広告が少ないヤフーニュースなどに遷移して同じ記事を読むことがある。 リワード広告自体は、2023年後半にニュースサイトで頻繁に登場する前から存在はしていた。代表的な例でいえばユーチューブ広告である。
ただこれはテレビのCMに比べると広告視聴に対するストレスも少なく、大きな違和感を覚える人は少ないのではと考える。
他には無料ゲームアプリなどでよく使われている。「ゲームオーバーした際、最初からではなく途中からリスタートする」「レアなアイテムを獲得する」といった特典を獲得するために広告の視聴を求めるものだ。
ちなみにゲームアプリでは、ゲーム内でリワード広告を濫用するとアプリストアにおける評価が下がるとされているから、やはり評判はよくない。
なぜかメディアの使い勝手が日に日に悪くなっている
ゲームにしろ、ニュース記事にしろ、無料といっても無料ではない。制作に原価はかかっていて、読者の代わりに誰かがお金を払っている。ウェブメディアではその役割は広告主が果たしている。問題はウェブメディアにおいて、その「代わりの誰か」が、だんだん少なくなってきていることだ。
広告に回る全体の金額を見ると増えているのだが、ニュースメディアに回るお金は減ってきている。それが評判の悪いリワード広告の召喚につながった。
しかし、動画広告を見ないと記事を読めない不便なウェブメディアが、私たちメディア人が求めた未来だったのだろうか。インターネットの登場で情報の民主化が進んだはずが、本当にそうなっているのだろうか。
テクノロジーは日々進歩しているはずだ。ありとあらゆるものがスマホに集約され、生成AIの登場で更なる業務効率化が期待される。世の中はこれからも、どんどん便利になっていくはずだ。それなのに、なぜかメディアに関しては使い勝手が日に日に悪くなっている。一体なぜなのだろう。