贋作が持つもっとも“罪深い側面”とは?

吉澤氏によれば、書類に基づいて取引された絵画の信用性を、ベルトラッキ氏が「俺が描いた」という言葉だけで揺さぶっているということになる。

贋作師からすれば、より多くの有名画家の贋作を描いたと主張することで、自身の腕前を誇示することになる。つまり“言ったもの勝ち”に近い状況になっているのだ。

この構図が、贋作の可能性が高いとみられる作品を所蔵している徳島と高知の美術館を難しい立場に追い込んでいる。ベルトラッキ氏の言葉を信じるわけにはいかず、例えば絵が描かれたとされる時期に使われた絵の具が存在したかどうかを確認するなどして科学的に真贋の決着をつけることが美術館側に要求されているのだ。

徳島県立近代美術館の竹内利夫課長(学芸交流担当)は、ベルトラッキ氏が日本メディアに贋作だと話したことについて「本当のことを言っているかどうか、わからないじゃないですか。加害者(贋作師)なんだから」と述べている。

徳島県立近代美術館が所蔵する『自転車乗り』(写真/同美術館提供)
徳島県立近代美術館が所蔵する『自転車乗り』(写真/同美術館提供)

また徳島県の後藤田正純知事は、「画廊というのかな、絵画をあっせんしている方には大変な責任があると思っておりますので、それは粛々と対応すべきだと思っております」と述べ、購入先の画商の責任を問う可能性を示唆している。

しかし、四半世紀前の取引に対して責任が問うことができるかは不透明だ。さらに、問題はカネの話にとどまらない。

徳島県は、キュビスムを提唱したパブロ・ピカソ(1881-1973)を本格的に日本に紹介した洋画家・伊原宇三郎(1894-1976)の出身地であり、県立近代美術館はピカソと伊原を軸にしたコレクションを進めていた。

その中で、大阪の画商からキュビスムの有名画家・メッツァンジェの作品があるとオファーを受け、購入するに至った。こうした経緯を説明した竹内氏は、贋作が持つもっとも罪深い側面について話す。

「“絵を観る”とは、『この時代にこんなんがあったんや』とか『この作家はこういうバリエーションも描いたんやな』とか、作品を介して対話し、美術や歴史を考え、内面生活を豊かにしていく活動じゃないですか。
芸術作品と魂で対話し、出合いを楽しもうというときに、(贋作とされる絵が)交ざっていたということなんです」(竹内氏)

徳島県立近代美術館(撮影/集英社オンライン)
徳島県立近代美術館(撮影/集英社オンライン)

コレクションでキュビスムの展開を紹介しようとした作品に、贋作の疑いが浮上した――。これについて「専門家として苦しいでしょう」と尋ねると、竹内氏は苦渋の表情を浮かべた。

「それを言うのもはばかられます。お客さんは『しんどいのはこっちや』と思っておられますよね。お客さんに『優れたものを購入できてよかったです。ぜひ見ていただきたい』と言って、作品にお墨付きを与えたのは私たちです。

それを味わってくださったお客さんに対して、お詫びのしようもございません。『お口汚しになったので、考えを差し替えてください』というわけにはいかないですよね。

美術が好きな人は、(作品を観ることで)心のアルバムに取り込みながら、人生の一部として体系を作り上げているわけじゃないですか。(そこに贋作を見せてしまったことは)消せません。その体験が沁み込んで(心の)地層の一部になっているから……」(竹内氏)