「国会の爆弾発言男」
──泉さんが手伝った1990年の衆議院議員選挙は次点で落選しますが、1993年に初当選。オウム真理教の地下鉄サリン事件の被害者救済、統一教会の立退運動への参加、特殊法人への不正追及で注目を集め、「国会の爆弾発言男」と呼ばれるようになります。
まさに市民を信じ、国民を信じ、正義に燃えた政治家だったね。石井さんは「不惜身命」という言葉が好きだったんだけど、不正追及と弱者救済のために、「身も心も一生もすべて国民にささげる」とほんまに言ってました。それくらい腹をくくっていたからこそ、国会でも厳しく追及できたんだろうね。政治家の矜持を教えてもらった気がします。
石井さんに出会っていなければ、私は弁護士にもなっていないし、国会議員にも明石市長にもなれていません。石井さんの教えに忠実に、その後の人生を歩んできました。石井さんが殺されたのは61歳のとき。私も今年の8月19日で61歳になりました。
『わが恩師 石井紘基が見破った官僚国家 日本の闇』は、石井さんが救いたかった国民への使命、やりかけのことを私が引き継いでいくという、改めての決意表明なんです。そういう意味では、思い入れたっぷりの本やね。
──タイトルにもある“官僚国家”とは?
今の日本の課題は、政治が官僚の軍門に下って機能していないこと。本来の政治は国民に選ばれた政治家が、選んでいただいた国民のために、必要な政策を官僚に指示することなんです。
それなのに今は官僚が政治家に指示をして、国民に負担を課している構造。日本社会を根本から変えるには、この構造を変えなければいけません。
トップに立つ政治家の仕事は、「方針決定権」と「予算編成権」と「人事権」、この3つを行使すること。私が明石市長のときにしたことです。
私はまず「子供を応援する」という方針を決めて、子供に関する予算を2.4倍まで増額。もちろん市民負担を増やさずにやりくりをしました。そして子供を担当する職員数を4倍にしたんです。
子供を応援したら地域経済全体が回り出して税収増にもつながるし、その結果、高齢者施策の充実にもつながります。子供への施策は明石市民全員の幸せにつながるんだという哲学を持って実行に移しました。
明石市ができたことは全国どこででもできるし、国でもできること。財務省はお金がないと言っているけど嘘ですよ。国の予算は額が違う。余りまくっとるわ。国民が5割負担する国なんか他にあるかいな。