GMSから抜け出せなかったイトーヨーカドー
食品から日用品、衣料品や家具・家電など豊富な品揃えを誇る総合スーパー(GMS)。2020年に創業100周年を迎え、長らく業界の雄としてGMSを続けてきた株式会社イトーヨーカ堂だが、ここに来て苦境に立たされている。
2月9日、同社の発表によれば、北海道・東北・信越の「イトーヨーカドー」17店舗を閉店させることがわかった。イトーヨーカ堂は、かねてから業績不振が続いており、2024年2月期にはついに営業利益が赤字に転落する見込み。親会社であるセブン&アイ・ホールディングスは、構造改革の一環として既存のイトーヨーカドー店舗を4分の1にまで削減する方針を掲げている。
今回のイトーヨーカドーの撤退施策を受けて、“GMS業態限界論”を唱える者も少なくはない。西川氏もイトーヨーカドーのようなGMSの崩壊は、必然だったと指摘する。
「80年代までGMSは、駅前の一等地などを中心に衣食住を提供した小売店として一時代を築き上げた業態でした。なかでも、イトーヨーカドーや西友は、人口密度が高く商圏人口が多い首都圏を早い時期から抑えられていたので、シェアを獲得できたんです。
しかし90年代以降、『ニトリ』や『ユニクロ』などの専門店の台頭に伴い、GMSの専門性が浅い総合的な品揃えでは太刀打ちできなくなっていきます。そして極めつけはイオンが郊外にショッピングモールを出店したこと。自動車普及率の高まりとともに人々はイオンへと足を運ぶようになり、2003、2004年度には、イトーヨーカ堂はイオンに売上高、営業利益を抜かれてしまいました」(西川氏、以下同)
イトーヨーカ堂の問題点は、その時点でGMS業態から脱却できなかったことにあるという。
「同社はGMS業態で小売業界を席巻した企業ですし、元トップランナー。その上、一等地に土地を構えており、地元住民からもそれなりに支持され、関係して引くに引けなかった状況にありました。
おまけに親会社が運営する『セブン-イレブン』などコンビニ事業の好調も重なったことで、イトーヨーカ堂の損失を補えたことも抜本的な改革が遅れた要因に。GMSの衰退は免れず、今日まで不振が続いてしまったのだと考えられます」