「俺には神戸の××組、大阪の〇〇組がついとるんじゃ」
寺内被告は大阪市福島区出身で、小学生のころから札付きのワルだった。近所の同級生の母親Aさんは、事件発生当時、集英社オンラインの取材にこう語っていた。
「それぞれの家で当時はやっていたカードゲームをやってよく遊んでいたのですが、うちの息子は寺内くんが来るとレアカードをはじめ、よくカードがなくなると話してました。うちだけでなく、よそのお宅でも多発していたみたいで……」
中学に進学すると、非行ぶりにも拍車がかかる。Aさんはこう続けた。
「淀川の河川敷で男女10人で酒盛りパーティーをして、テンションが上がったのか不良仲間とチェーンなどの武器を持って他校に殴り込みに行こうとしたところを補導されたことがありました。さらにその3日後には教室で友達と歌を歌って盛り上がっていた息子が『ただ気に食わなかったから』というだけで殴られて……。
息子はケガをしたので、寺内くんの親御さんと一緒にビールを1ケース持って謝罪に来ましたが、ビールを受け取ることはしませんでした。親子揃ってこちらと目も合わせず、反省している様子がないのもありましたし、寺内くんが同級生たちからお金を巻き上げるなど恐喝まがいのことを繰り返しているのを知っていたので、今後かかわってまた何かされるのも嫌でしたから」
教師に暴行を働いて所轄署に被害届を出されたり、夏祭りで集団恐喝を繰り返したりと、すでに中学生でいっぱしのチンピラのようにもなっていた寺内少年は、高校に進学するとボクシングを始め、さらに調子づいていく。
「この頃から鍛えた体を見せたいのかタンクトップばかり着るようになっていました。うちの息子が『俺には神戸の××組、大阪の〇〇組がついとるんじゃ』と脅されてお金を盗られたので、通報しようとすると『家に火をつけられるからダメだ』と怯えていました。
高校は中退して、新聞に載るような事件を起こしたとも聞いています。息子が伝え聞いた話だと中退後はミナミのサパークラブで働いたり、十三でキャッチをしたり、市場で働いていたこともあったようです。
息子の友人が目撃したところでは、道頓堀川のひっかけ橋で『おんどりゃー』と叫びながら、寝転がっている自分のお客の女性を蹴っ飛ばして泣かしていたこともあったとか。福岡に行ったことは知りませんでしたが、いつまでたっても変わらない寺内くんにみんな呆れていましたよ」(前出・Aさん)